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「箱ヶ森」歌碑

1.テキスト

しろがねの
 雲流れ行くたそがれを
  箱ヶ森らは黒くたゞずむ
        宮澤賢治

2.出典

歌稿〔B〕 497

3.建立/除幕日

1996年(平成8年)11月30日 建立/12月23日 除幕

4.所在地

盛岡市猪去上猪去122

5.碑について

 盛岡市の南西に、賢治が「岩頸列」と呼んで親しんだ一連の山々があります。(「南昌山」歌碑も参照)
 「箱ヶ森」は、この山なみの一角にある標高866mの山です。

 この短歌が作られたのは1917年、賢治が盛岡高等農林学校三年の5月でした。学校では前年につづき、級長・特待生・旗手という「三冠王」を保持するいっぽう、仲間とともに文芸同人誌『アザリア』の創刊を準備している頃で、勉強においても文学においても、充実した日々をすごして いたのだと思います。

 この頃の賢治は、箱ヶ森や七つ森近辺を、一人でさかんに歩きまわっていたようです。当時の別の歌では、「箱ヶ森/みねの木立にふみ迷ひ/さびしき原をふりかへり見る(歌稿〔B〕482)」とうたわれているように、この箱ヶ森は、歩き慣れた賢治にとっても、登るのにけっこう難渋する山だったようです。

 そこでこの山をもっと一般の人にも親しめるようにするべく、登山道を整備しようという動きがありましたが、1989年になってやっと地元の人々の熱意 が実り、登山道が整備されたということです。さらにその後、登山道の入口に、この賢治の歌碑が建立されました。
 この歌碑のすぐ奥には「盛岡簡易保険保養センター」があり、盛岡市内から行く時には目印になります。


盛岡市南郊外から「岩頸列」を望む