「屈折率」詩碑
1.テキスト
屈折率
宮澤賢治
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛(あえん)の雲へ
陰気な郵便脚夫(きやくふ)のやうに
(またアラツディン、洋燈(ラムプ)とり)
急がなければならないのか
2.出典
「屈折率」(『春と修羅 〔第一集〕』)
3.建立/除幕日
1986年(昭和61年)1月6日 建立/1月18日 除幕
4.所在地
岩手県岩手郡雫石町中町7-4 雫石町商工会館前
5.碑について
『春と修羅』の巻頭を飾る作品であり、これ以降の宮澤賢治の創作活動は、どうにも「天才」としか呼びようがないような領域にはいっていきます。
それは、ここで彼自身も予言したように、(アラツディンの)魔法のランプをとろうとする企てになりました。
しかしまた同時に、みずからの行く手のある側面が、現実以上に「明るく」、「そしてたいへん巨きい」と見えてしまうために、ことさら「急がなければならない」と感じる賢治の性向は、農学校教師としても、羅須地人協会の主宰者としても、また晩年に東北砕石工場の嘱託技師として農村の土壌を改良できると信じたときにさえも、彼に苦悩を強いることになったのです。
このような現象を、おそらく賢治自身も運命のように感じながら、「屈折率」という自然科学的事象に喩えて呈示したこの小さな詩は、まさに出発点として記念碑的な作品なのだと思います。
この三年後に、やはり年頭にあたってみずからの行く手をのぞもうとした作品(「三三八 異途への出発」)にかんしては、旅程幻想詩群で触れました。
詩碑は、雫石の「代官屋敷」の跡地の小さな公園にあります。碑の後ろに見える白壁が、当時の名残りをあらわしています。