「岩手病院」詩碑

1.テキスト

   岩 手 病 院             宮 澤 賢 治

血のいろにゆがめる月は 今宵また桜をのぼり
患者たち廊のはづれに  凶事の兆を云へり

木がくれのあやなき闇を 声細くいゆきかへりて
熱植ゑし黒き綿羊    その姿いともあやしき

月しろは鉛糖のごと   柱列の廊をわたれば
コカインの白きかほりを いそがしくよぎる医師あり

しかもあれ春のをとめら なべて且つ耐えほゝえみて
水銀の目盛を数へ    玲瓏の氷を割きぬ

         一九七八年岩手医科大学創立五十周年記念

2.出典

〔血の色にゆがめる月は〕(定稿)」(『文語詩稿 五十篇』)

3.建立/除幕日

1978年(昭和53年)6月8日 除幕

4.所在地

盛岡市内丸 岩手医科大学附属病院西門

5.碑について

 晩年の賢治は、それまでに自分が書いた短歌・短唱・口語詩などの作品を、定型の文語詩に改作するという作業を、病床のなかでつづけました。
 この作品もそのようなひとつです。

 1914年(賢治18才)、岩手病院入院中につくった短歌「ちばしれる/ゆみはりの月/わが窓に/まよなかきたりて口をゆがむる」(歌稿〔A〕〔B〕94)などを下敷きとして、賢治自身が「双四聯」と名づけた独自の形式に、かたちづくられています。

 この入院中に、賢治が若い看護婦さんに恋をして、結婚まで考えたが、父に反対されて思い悩んだというエピソードは有名です。この詩のなかでは、「しかもあれ春のをとめら なべて且つ耐えほゝえみて」という部分に、看護婦さんたちへ向ける賢治のまなざしがあらわれています。
 このころにつくられた他の短歌作品では、「すこやかに/うるはしきひとよ/病みはてゝ/わが目 黄いろに狐ならずや」(歌稿〔B〕112)などが、賢治の思いを伝えてくれます。

 この年の6月に、退院して花巻に帰ってからの作品については、「薬師佛」短歌木塔へのコメントのところで、すこし触れました。

 岩手病院の看護婦さんとのエピソードに関しては、下記の岩手医科大学のホームページ内で、写真も含めて紹介されています。

「岩手病院と宮沢賢治」(岩手医科大学ホームページ)へ→


岩手医科大学附属病院入口 (右下隅に詩碑)