「薬師佛」短歌木柱

1.テキスト

東には紫磨金色の薬師佛
     そらのやまひにあらはれたまふ

2.出典

歌稿〔A〕〔B〕 156

3.建立/除幕日

1984年(昭和59年)3月31日 建立

4.所在地

花巻市矢沢 胡四王山展望台

5.碑について

この木柱が立っているのは「宮沢賢治記念館」の向かい側の展望台で、この右横にはレストラン「山猫軒」があります。
 記されている短歌は、1914年(賢治18才)のものです。

 現在は「宮沢賢治記念館」をはじめ各種の施設が建ち、まさに「賢治を祀る山」という様相を呈している胡四王山ですが、生前の賢治にとっても、ここは特別の愛着のある山のひとつだったようです。

 山頂の胡四王神社は、江戸時代までは「医王山胡四王寺」として「薬師如来」を本尊とするお寺だったとのことで、上記の短歌に「薬師佛」が登場するのは、あるいはこのような歴史から連想するところがあったのかもしれません。
 しかし、歌の直接的な解釈としては、胡四王山から東方にある北上山地の「薬師」岳(1644m)の姿が、紫金色をして現れて見えた、ととっておくのが一般的なのでしょう。薬師如来は、(ガンジス河の砂の数の10倍に等しい仏国土を越えた)東方の浄瑠璃世界の主尊で、西方浄土にいる阿弥陀如来に対して、東方の象徴とされているのだそうです。

 賢治は後々の作品においても、天空に「ひびわれ」が見えたり、「魚の目玉」が見えたり、特異な感受を示していますが、ここでは「そら」に「やまひ」を見ています。
 「そらのやまひ」とは何のことかと思いますが、同じ頃の歌には、「屋根に来れば/そらも疾みたり/うろこぐも/薄明穹の発疹チブス」(歌稿〔B〕122)という作品もあり、たとえばうろこ雲を発疹に見立てたりしているわけです。
 いずれにしても、なにかしら病的な空を背景にして薬師岳が見えたことを、衆生の病苦を除くという薬師如来の出現と重ね合わせた歌なのかと思います。

 賢治はこの年の4月から6月までかかった岩手病院での入院から帰宅した直後で、当時まだ体調は思わしくなかったのでしょうし、加えて病院の看護婦さんへの「恋のやまひ」もかかえていたためか、病気に関連した短歌がたくさんつくられています。
 名門中学を卒業したものの、同級生の中には中央の高等学校に勇んで進学した者もいるのに、自分は不本意な質屋の店番をする毎日でした。この頃の賢治の鬱屈した思いも、多くの歌に表れています。
 そんななかで、「東の空に薬師如来が顕現する」というイメージは、自分をそのような境遇から救い出してくれるような、何らかの救済者を待望する思いの象徴だったのかもしれません。

 そして実際に賢治は、この年の9月に法華経と出会って、異様なほどの感動を受けます。まさに待ち望んでいた時に、独特のパワーを持ったうってつけの拠り所に遭遇したのでした。その後の賢治は、これに自らを託します。


 この短歌は、まだ少年時代の作というべきものかもしれませんが、幻覚にも近い独特の感受性と、仏教的な発想とが融合しているという意味で、まさに宮澤賢治的な作品だと思います。

 他に、やはりこの頃に賢治が胡四王山で詠んだ歌として、「神楽殿/のぼれば鳥のなきどよみ/いよよに君を/恋ひわたるかも」(歌稿〔B〕179-180b)などがあります。こちらは上の作品とは対照的に、古典的な相聞歌のおもむきです。


胡四王山展望台から北東を望む