「渇水と座禅」詩碑
1.テキスト
渇水と座禅
にごって泡だつ苗代の水に
一ぴきのぶりき色した鷺の影が
ぼんやりとして移行しながら
夜どほしの蛙の声のまゝ
ねむくわびしい朝間になった
さうして今日も雨はふらず
みんなはあっちにもこっちにも
植えたばかりの田のくろを
じっとうごかず座ってゐて
めいめい同じ公案を
これで二昼夜商量する……
栗の木の下の青いくらがり
ころころ鳴らす樋の上に
出羽三山の碑をしょって
水下ひと目に見渡しながら
遅れた稲の活着の日数
分蘖の日数出穂の時期を
二たび三たび計算すれば
石はつめたく
わづかな雲の縞が冴えて
西の岩鐘一列くもる
宮澤賢治
2.出典
「二五八 渇水と座禅(定稿)」(『春と修羅 第二集』)
3.建立/除幕日
1996年(平成8年)4月6日 建立/除幕
4.所在地
花巻市 中北万丁目 田日土井跡
5.碑について
「田日土井」という、昔の取水口の跡に、この碑は建てられています。周囲の田んぼを耕す人々は、ここからそれぞれの田に水を引きました。
作品は、農学校で水田耕作実習の担当者であった賢治が、学校の「実習田」の水不足に悩んだ体験をもとにしていると言われています。
田植えは終えたものの日照りが続き、稲の活着を案じた農民たちは、雨の到来を祈るように待ちながら、じっと坐っています。賢治もそれをじっと見守り、人々の様子にある種の崇高さを感じ、また幾分のユーモアもこめて、まるで座禅の修行をしているようだと対象化しているのです。
描かれているのは、まだ『第三集』のような自分自身の農耕生活ではありません。しかし、『第二集』も後期になると、それまでのように農民を「他者」として見るのではなく、このように深く共感しつつ見るようになっていることを感じさせます。
この作品の「下書稿(一)」で作者は、「溝うめ畦はなちを罪と数へる/わたくしは古くからの日本の農民である」とも宣言しています。
農学校教師を辞めてみずから「本統の百姓」になることを宣言するまで、あと10ヶ月もありません。
今もこのあたりは広大な田んぼが広がり、碑の裏側には、下写真のように水路が通っています。水はとうとうと流れ、さすがに灌漑技術の発達した現代では、ちょっとやそっとで渇水が起こりそうな様子ではありません。
碑の裏手を流れる水路