「農民芸術概論綱要」碑

1.テキスト

われらに要るものは
  銀河を包む
透明な意志
  巨きな力と
熱である
       宮澤賢治


 母校創立八十周年にあたり
 
 同窓生九千余名の熱き思いがここに
「地人会館」を建設し、胡四王山を模
して「羅須庭園」を造成した
 在校生ならびに花農を訪ねる多くの
人々に崇高な意志の創造をもたらすこ
とを祈念してやまない
  昭和六十年九月二十八日
   
    岩手県立花巻農業高等学校

            同 窓 会

2.出典

「農民芸術概論綱要」

3.建立/除幕日

1985年(昭和60年)9月28日 除幕

4.所在地

花巻市葛1地割 県立花巻農業高校 羅須庭園

5.碑について

 花巻市南部の下根子桜というところにあった宮澤家の別宅は、もとは賢治の祖父の喜助が脳卒中で倒れた後、自らの療養生活のために建てたものでした。
 その後、妹のトシも亡くなる直前までの一時期、ここで療養しています。

 花巻農学校を退職した賢治は、空き家になっていたこの住居を自分の住処に定めました。彼はここで独居自炊生活をしながら農耕をし、詩や童話を書き、「羅須地人協会」と名づけた農民文化活動をはじめたのです。その暮らしは粗末なものでしたが、賢治が自らの理想に生きようとした時期の、象徴のような場所でもあります。
 その志半ばで賢治が病に倒れ、自宅で療養するようになってからは、この建物は再び空き家になりました。さらに賢治の死後は他の人の手に渡って、所有者はこれを花巻市の北のはずれの葛という場所に移設しました。

 一方、花巻農学校の後身にあたる花巻農業高校は、1969年に若葉町からこの場所に移転してきましたが、偶然にも(!)この賢治ゆかりの建物がすぐ隣にあったため、同窓会が母校創立60周年を記念して敷地と建物を買い取り、復元作業を行いました。
 この建物はそれ以来、「賢治先生の家」と呼ばれています。

 さらに1985年には、創立80周年を記念して、建物の周囲を「羅須庭園」名づけて整備するとともに、同窓会の「地人会館」が建設されました。庭園の芝生のなだらかなスロープは、賢治が愛した胡四王山の形を模してあるのだそうです。
 この庭園の造成とともに、「農民芸術概論綱要」からの一節を刻んだこの石碑が設置されました。
 刻まれている言葉は、羅須地人協会があった場所に、「木塔」として立てられているのと同じものです。


羅須庭園入口