前回は、宮沢賢治という人には二つの側面があったという観点から、下のような表を作ってみました。

特徴 象徴的作品
賢治A 謙虚・慎重
禁欲的
自己抑制的・自責的
内省的
献身的
優等生的
粗食
宗教への親和性
恋と病熱
春と修羅
竹と楢
〔雨ニモマケズ〕
グスコーブドリの伝記
賢治B ハイテンション
自由奔放・享楽的
お調子者・ひょうきん者
行動的
万能感
トリックスター的
美食
芸術への親和性
真空溶媒
東岩手火山
楢ノ木大学士の野宿
毒もみの好きな署長さん
〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕
虔十公園林

 今回考えてみたいのは、賢治自身の中では、この〈賢治A〉と〈賢治B〉の関係は、どうなっていたのだろうかということです。


二人の賢治と父と祖父

 生前の賢治に関する様々な資料を読んでいて思うのは、宮沢賢治という人には、対照的な二つの側面があったようだということです。

 一つは、謙虚で、禁欲的で、自己抑制が強くておとなしい、優等生的な側面です。一般的に宮沢賢治というと、こういうイメージを抱いている方が多いのではないでしょうか。
 しかし賢治には、おもに親しい人に見せていた、もう一つの側面がありました。彼はある時は、ハイテンションなお調子者にになって、えらく大仰なことを言ったり、周囲を驚かすようなことを仕出かす、トリックスターのような人でもあったのです。

 たとえば次妹のシゲは、このような賢治の二つの側面について、次のように語っています。

 兄さんは九月東京から帰ってから十二月に花巻農学校に就職しましたが、先生としての仕事は、たやすいらしく、たのしそうにやっていました。としさんの病床のある部屋で、その日見聞きしたことを、おもしろおかしくして、みんなを笑わせました。おなかが痛くなるくらい笑わせられ、苦しくなって、「やめてやめて」と言わなければなりませんでした。
 こういうことは、お父さんが外出中のことで、お父さんが家にいると、兄さんは借りてきた猫のようでした。家の中を歩くのでも、お父さんのいる居間などは、少し半身にかまえて背をかがめて、少し手を前に出すような格好で歩いていました。

(森荘已池『宮沢賢治の肖像』p.227)

 ここで、この「借りてきた猫」のように大人しくかしこまっている方の賢治を〈賢治A〉、面白おかしい話をして家族を笑いの渦に巻き込む方の賢治を〈賢治B〉と呼ぶことにしてみます。


詩作品の外向性/内向性

 賢治は自らの詩を「心象スケッチ」と呼んで、自分の心において生起している現象(=心象)を、ありのままに描写(=スケッチ)することを、方法論としていました。

 その「心象」の内容は、自然の風景や生き物や他の人間など、作者の「外界」の出来事に由来している場合と、作者の感情や思考など、その「内界」の出来事に由来している場合がありえます。
 実際の作品においては、両者が多様な仕方で混在しているでしょうが、その割合は作品によってまちまちで、ほとんど外界の描写に徹している作品がある一方で、専ら自分の心の中の感情や思索を記述した作品もあります。

 さて今回は、個々の作品において、作者が上記のような意味で「外を向いているか/内を向いているか」という程度を、数値化することを試みてみました。
 先日は、詩の描写にどの程度の幻想性が含まれているかということを数値化して、「幻想性指数」というものを考えてみましたが、今回は、純粋に外的な現象を描写している場合を「1」、完全に作者の内的な心の状態を記述している場合を「-1」とする、「外向性指数」という数値を定義してみたわけです。

 その結果をグラフにたのが、下図です。(クリックすると別窓で拡大表示されます。)

『春と修羅』各作品の外向性指数

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塵点の劫

 先日東京へ行った帰りに、身延山久遠寺に寄って、久しぶりに賢治の歌碑を見てきました。
 下写真が、日本三大三門の一つに数えられる、久遠寺の三門です。

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 この門を入って少し行った右手に、賢治の歌碑があります。

20240721e.jpg

塵点の
  劫をし
過ぎて
 いましこの
妙のみ法に
 あひまつ
   りしを
       賢治


 数日前から Amazon でも、『宮沢賢治の体験世界─幻想・空想・夢想─」が、一応購入できる状態になっているようです。
 あまり冊数はないようで、すぐまた在庫切れになってしまうかもしれませんが、よろしければご覧下さい。

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鈴木 健司、大島 丈志、柴山 雅俊、浜垣 誠司 (著)
文教大学出版事業部 (2024/3/16)
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 実はこの記事は、7月13日に作成しておいた日時指定投稿なのですが、今日7月14日午後は東京で、今回の出版の「ご苦労様会」兼勉強会です。共著の4名に加え、杉浦静さんもお越しいただけるとのことで、楽しみです。


逆年代順の詩集

 以前にもご紹介した杉浦静さんの著書『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』には、緻密で奥深い論考が目白押しですが、この本に収められている「〈音楽用五線ノート〉の位置」という文章は、賢治が遺した厖大な草稿群の中でも、たった二葉しか存在しない「音楽用五線ノート紙」の状態について、調査検討したものです。

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「曠原淑女」五線ノート紙稿(『新校本全集』第3巻口絵より)


 先日刊行の『宮沢賢治の体験世界─幻想・空想・夢想』に収録した論考「宮沢賢治の口語詩における幻想性評価の試み」では、賢治の各口語詩に対して「幻想性指数」という数値を定義し、考察を試みました。
 下図は、『春と修羅』の各作品のその幻想性指数を、グラフにしたものです。(クリックすると別窓で拡大表示されます。)

『春と修羅』各作品の幻想指数

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木を伐った罰

 1923年9月16日の日付を持つ「風景とオルゴール」には、賢治が山で木を伐ったことによって、 罰が当たるのではないかと恐れるような描写があります。

わたくしはこんな過透明くわとうめいな景色のなかに
松倉山や五間森ごけんもり荒つぽい石英安山岩デサイトの岩頸から
放たれた剽悍な刺客に
暗殺されてもいいのです
  (たしかにわたくしがその木をきつたのだから)
〔中略〕
   (しづまれしづまれ五間森
    木をきられてもしづまるのだ)

 この日曜日の賢治の行動について、栗原敦さんは次のようにまとめておられます。

作者賢治は、何らかの理由で五間森で「木をきつ」て下りて来て、「渡り」橋をこえて松倉山の下を過ぎ、「ダムを超える水の音」を聞いてのち電車に乗った。(栗原敦「「風景とオルゴール」の章二連作」:『宮沢賢治 透明な軌道の上から』p.92)

 賢治は、五間森で木を伐ったことの罰として、近くの松倉山の岩が「刺客」として落ちて来て、打ち殺されてしまうという不安にとらわれているようです。

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松倉山と渡り橋