「真空」と「妙有」

 仏教の「空」の教えとは、元来は「全ての事物には、固定的な実体はない」というようなことだったのかと思います。

つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界をなりと観ぜよ。(岩波文庫『ブッダのことば:スッタニパータ』)

 ブッダの後、「空」について精緻な理論を展開したのは龍樹やその後継者たちの「中観派」で、全ての事物は相互依存的であり(=縁起)、それ自身で孤立している事物はない(=無自性)という状態のことを、「空」と呼びました。

 これが中国に入ると、「空」をさらに徹底し強調する言葉として、「真空」という語が現れます。木村清孝氏の「真空妙有論の形成と展開」(春秋社『空と実在 江島惠教博士追悼論集』所収)によれば、漢語「真空」の初出は、西晋の竺法護(231-380)訳の『光讃般若経』だったということで、その意味は「究極・絶対の真理としての空を表す概念」とのことです。
 またもっとメジャーなところでは、鳩摩羅什訳による龍樹の『大智度論』に、次のように「真空」が登場します。

諸法の相は生ぜず滅せず、真空にして字なく名なく、言なく説なけれども、而も名を作し字を立て、衆生の為に説いて、解脱を得せしめんと欲す、是れ第一の難事なり。(龍樹『大智度論』巻八 国訳大蔵経 論部第一巻)

 このような、究極の「空」ともいうべき「真空」について、「真空はすなわち妙有である」という、何とも逆説的な主張をしたのが、先日の「随縁真如」「不変真如」の概念を創案した、中国の法蔵(643-712)です。
 「妙有」とは、字義通りには「妙なる存在」というような意味でしょうが、『精選版 日本国語大辞典』では次のように説明されています。

みょう-う【妙有】
〔名〕仏語。
①真実の有。相対的な有・無の対立を超えて初めて、その空の上にこそ存在のほんとうの姿が現れるとするもの。

 この説明では、「有・無の対立を超えて」に続き、「その空の上に」とありますが、ここで「有」と「無」と「空」という三つの概念は、互いにどういう関係にあるのでしょうか。
 上に見たように、インドの中観派によれば、「空」とは「縁起」であり「無自性」であるということで、言わば「あり方」の問題でした。「有」なのか「無」なのかという存在論とは、別次元の話だったはずです。
 ちょっと頭が混乱しそうになりますが、鎌田茂雄氏によれば、このような概念の錯綜は、インドからもたらされた「空」の概念に、中国的な意味変容が加わった結果なのだそうです。

そもそも中国にインド仏教の空思想が伝えられたとき、中国仏教者は、老荘の無に比定して空を理解したのである。老荘の無はある意味において、万物生成の根源としての形而上的実体の意味をもつているのであり、このような根源的実在としての無の観念のうえにたつて、インドの空思想を理解したため、空を実体化し、万物の根源となるように考えたのであろう。(鎌田茂雄「華厳思想の形成に果した空観の役割」)

 もともとインドでも、「一切空」を主張する中観派は、「全てが無である」とする虚無主義と誤解され批判されることがよくあったので、中観派からは「空は無を意味するのではない」と何度も反論していたのですが、中国に伝わる際に、同様の誤解が生じていたようなのです。中国では、「空」をまず「無」と同一視して、さらにそれを実体的・肯定的に意味づけ直し、その対極にある「有」とさえも同一視していく、という変化が起こっていたわけです。
 ちなみに、老荘思想で「無」と「有」は、たとえば次のように捉えられています。

天下の万物は有より生じ、有は無から生ずる。(岩波文庫『老子』第四十章)

 これのような世界観が、中国において仏教に取り入れられ、高度に洗練された結果が「真空妙有」というわけで、これが海を渡った日本においても、そのまま受容されていくことになります。
 そして現代日本の『岩波仏教辞典』では、次のように説明されています。

真空妙有 しんくうみょうう 真空がそのまま妙有であること。有(存在)にもとらわれず空にもとらわれず、空もまた空であり、否定に否定を重ねたところで見出される〈真空〉は、決して虚無ではなく、かえってあらゆるものを成り立たしめる〈妙有〉であることをいう。

 しかし上記のように、もしも「空」がそのまま「有」であるのならば、では最初にブッダは何のために「全ては空だ」と言ったのでしょうか。「全ては空だ」=「全ては有だ」ということならば、わざわざ「空」という概念を立てる意味がなくなってしまうではないか、などという気もしますが、これはそういう静的な論理として理解すべきものではないのでしょう。もっと動的に、何らかの仕方で「空」を超越したところに、新たな「有」が開ける、という風に捉えるべきなのかと想像します。(西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」なども連想します。)

 ところで、この「真空妙有」という言葉が、昭和初期の日本ではちょっとした流行になっていたようなのです。
 当時高名な仏教学者だった木村泰賢は、昭和4年(1929年)に『真空より妙有へ』と題した論文集を刊行しますが、これがきっかけとなって、その後しばらく宗教・言論界では、この言葉を引用した文章が、次々と現れます。
 まず木村泰賢は、上掲書の中で「真空妙有」について、次のように説いています。(強調は引用者)

 此意味に於て、仏教の解脱とは縁起を打ち破りて之を空に帰せしめた当体で、従つて縁起を悟るとは空を体験するの義であると解すべきである。併しこゝで吾等の注意せねばならぬことは、空を体験するからとて凡てを虚無絶滅に帰せしむることではなく、要するに従前の小我執に基く個別の世界を打破する義に外ならぬから、空に達した後には、そこに又新なる自由の世界が展開して来るといふことである。之を真空妙有といふ。(同書p.44)

 あらゆる大乗に共通するの標語は真空妙有の四字である。即ち我執我欲を基礎として建設された自然態を打破するが真空で、然る時は更に新なる意味に於て、自由の新天地が開けて来るのを妙有といふのである。全く体験を基礎として打ち立てられたもので、而も大乗に於ける種々の教理も所詮、この真空妙有の関係をいかやうに基礎づけいかやうに表彰するかの相違に外ならぬ。(同書p.344)

 「あらゆる大乗に共通する標語」が「真空妙有」だというのですから、木村泰賢がいかにこの言葉を重要視していたのかがわかります。
 この本に続いて、宗教界の各方面から、たとえば下のような言説が現れてきます。(強調は引用者)

龍樹提婆の徹底した大乗空観は無我を中心として発達した仏教思想の最高頂であつて、其の真空より妙有に出づる第一歩は無着世親の大乗法門でなければならぬ。(高井観海『教判の史的考察』昭和4年)

イエスの教へは常に罪の悔改めを要求します。〔中略〕古き己れに死んで新しく生れ代る態度であります。これは宗教的行き方として共通な否定より肯定への道でもありませう。又仏教でいふ真空より妙有への態度ともいふべきでせう。(佐藤定吉『人生を語る』昭和5年)

「あら楽や虚空を家と住みなして、こゝろにかゝる造作もなし」──真空から妙有への自然展開が、宗教的心理からの何物にも碍へられない天空海闊の生活行進曲である。(江部鴨村『宗教概論』昭和5年)

自分独力では仏教の真諦を見誤るが、仏の加護に依るから空見に沈まずに済むと説かれてある。是等は実に意味津々たるものがあつて、行者は深く味はなければならぬ、如此仏教では空見に堕することを非常に恐れて居ることが解ります。
真空より妙有へ」といふのはこゝである。(大村桂巌『仏教読本』昭和7年)

私はショーペンハウエルからニイチエへの展開を丁度仏教史に於ける真空より妙有への展開に擬することができると思ふ。(薗田香勲『ニイチエと仏教』昭和12年)

 賢治が、木村泰賢の『真空より妙有へ』を読んでいたかどうかはわかりませんが、木村の著書『仏教聖典の見方』を所蔵していたことはわかっていますので、それなりに注目していた仏教学者だったのは確かと思われます。木村泰賢は、岩手県(滝沢村)の出身でしたから、同郷の意識もあったかもしれません。賢治より15歳年長で、苦学して東京帝大を首席で卒業した後、1923年に東大印度哲学科の教授になったという人です。

 ただいずれにせよ、賢治が「真空妙有」という仏教思想について、ある程度の知識を持っていたのは確かだろうと思うのです。
 というのは、「真空が、実はこの世界の物質存在の源である」という、同趣旨の考え方に基づいた作品を、賢治はいくつも書いているからです。

 まず「春と修羅 第二集」の「五輪峠」には、次のようにあります。

五輪は地水火風空
むかしの印度の科学だな
空というのは総括だとさ
まあ真空でいゝだらう
火はエネルギー これはアレニウスの解釈
地と〔〕
水〔〕
風は物質だらう
世界も人もこれだといふ
心といふのもこれだといふ
今でもそれはさうだらう
   そこで雲ならどうだと来れば
   気相は風で
   液相は水
   地大は核の塵となる
   光や熱や電気や位置のエネルギー
   それは火大と考へる
   そして畢竟どれも真空自身と云ふ。

(「五輪峠(下書稿(二)初期形)」)

 すなわち、「むかしの印度の科学」ということで「地水火風空」の「五大説」を取り上げて、「地水風」は物質、「火」はエネルギー、「空」は真空とした上で、「畢竟どれも(=物質もエネルギーも)真空自身」だと言っているわけです。

 また同じ作品の手入れ形には、次のようにあります。

このわけ方はいゝんだな
物質全部を電子に帰し
電子を真空異相といへば
いまとすこしもかはらない

(「五輪峠(下書稿(二)手入れ形)」)

 「このわけ方」とは、同じくインドの五大説のことです。「物質全部を電子に帰し/電子を真空異相といへば」ということで、ここでもやはり「物質全部は電子から成っており、電子は真空の異相(=別の姿)」というわけですから、「物質=真空」ということになります。

 「五輪峠」の翌日に書かれた「晴天恣意」においても、同様の思索が続けられます。

堅く結んだ準平原は、
まこと地輪の外ならず、
水風輪は云はずもあれ、
白くまばゆい光と熱、
電、磁、その他の勢力は
アレニウスをば俟たずして
たれか火輪をうたがはん
もし空輪を云ふべくば
これら総じて真空の
その顕現を超えませぬ

(「晴天恣意(下書稿(二)手入れ)」)

 ここでも「地水火風空」のインドの五元素説を踏まえて、全ての物質やエネルギーは、「総じて真空のその顕現を超えませぬ(=真空の顕現に過ぎない)」とまとめています。

 さらに、病床において自らの死を意識した「(一九二九年二月)」には、次のようにあります。

われやがて死なん
  今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則(自然的規約)の外の何でもない
  からだは骨や血や肉や
  それらは結局さまざまの分子で
  幾十種かの原子の結合
  原子は結局真空の一体
  外界もまたしかり
われわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く
その法則をわれと云ふ
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるは一の法則(因縁)のみ
その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり

(「(一九二九年二月)」)

 ここでは、「われ」のからだは「骨や血や肉」であり、さらに「分子」であり「原子」であり、「原子は結局真空の一体」だと述べています。そして「外界」も同じだと言うのです。

 ところで、上記の諸作品において賢治が「真空」と言っているのは、冒頭からご紹介していた仏教的な意味における真空ではなくて、自然科学的な意味の、"vacuum"の訳語としての「真空」です。はたして賢治が、これを「真空妙有」という仏教思想と関連づけて考えていたと言ってよいのかという疑問が当然出てくると思いますが、私としては、ここで賢治は仏教的な意味の「真空」と、科学的な意味の「真空」を、あえて重ね合わせて考えていたのだろうと思うのです。
 賢治は「思索メモ2」に、「科学より信仰への小なる橋梁」と書いて、さらにこの世界の物質を、「分子─原子─電子─」と細分化していくと、最終的に「真空」を通して、「異単元─異構成物─異世界」に連なるという図式を書いていました。
 すなわち賢治は、「真空」を仲立ちとして科学と信仰が、さらにこの世界と異世界が、媒介されると考えていたと思われ、その考えの奧には「真空妙有」という思想があったのではないかと、私は推測するのです。

20230416b.png このような、「この世の存在は実は真空であり、真空が存在の源である」という考え方は、やはり同じ法蔵の思想である、「万物は随縁真如でもあり、不変真如でもある」という考えと、本質的には同じようなことを言っています。
 こういった真如の二側面について、明治大正期の仏教学者で、東京帝大印度哲学科の初代教授だった村上専精は、右のような図を描き、下のように説明しています。

読者此甲図ニ就テ万有ハ其実体ノ点ニ論到スレハ生滅時間差別空間ノ諸象ヲ泯亡シタルモノナリト云フコトヲ知ルヘシ凡ソ生滅トイヒ差別ト云フハ吾人ノ感覚圍中ニ現スル象ニ限ルモノナリ象豈奚ソ体ト云フコトヲ得ン是ヲ以テ義記に約体絶相門トイヒ又タ泯相顕実門ト云フ故ニ余之を図表スレハ白トスルヨリ外ナキモノトス又読者此乙図ニ就テ思ヘ万有ハ其現象ノ点ヲ見レハ時間的ニ生滅止ム間ナシ時間的ニ生滅止マサルモノハ亦空間的ニ差別限リナキモノナリ是ヲ以テ義記ニ随縁起動門トイヒ又タ攪理成事門トイヘリ故ニ余ハ乙図ニ竪線横線ヲ用ヒテ時間的ノ象ト空間的ノ象トヲ形容セリ(村上専精『起信論達意』p.38)

 ちなみにこの図は、先日の記事で引用した井筒俊彦氏の図の先例として挙げられているもので、井筒氏の図では一つの円を上下に分割しているのに対し、こちらの図では二つの円が描かれています。そして下記のように、この二つは一つの円の「裏と表」であるとされています。

此甲図を裏面ト視做シ乙図を表面ト視做スヘシ既ニ之ヲ表裏ノ別トスレハ恰モ紙ノ表裏ニ於クル如ク二者別物ニアラス同一物ナルコトハ論ヲ俟タサルナリ(村上専精『起信論達意』p.11)

 一つの円の表裏と同じく、この世の万物のありのままの真如の側面と、生滅する現象の側面は、実は「二者別物ニアラス同一物」だというのです。
 これを「真空」と「妙有」の関係に当てはめれば、究極の空であるところの「真空」と、この世界に溢れる物質存在の「妙有」とは、互いに裏と表の関係になっているのだと、心に思い描いてみることができます。

 上の村上専精による図は、山根知子さんの『私の宮沢賢治 兄と妹と「宇宙意志」』p.162にも引用されているものですが、ふと思い立ってこれを一つの戯画的なアニメーションにしてみました。
 賢治が作品に書いているような、「全ての物質は真空である」というイメージが、これによって少しでも感じられような気になったりするでしょうか?