一六

     五輪峠

                  一九二四、三、二四、

   

   宇部何だって?……

   宇部五右エ門か……

   ずゐぶん古い名前だな……そいつが君の部落の主か

   みんなでそれを退治したいと云ふんだな

      何べんも何べんも降った雪を

      いつ誰が踏み堅めたでもなしに

      みちはほそぼそ林をめぐる

      向かふは岩と松との高み

      その左にはがらんと暗いみぞれのそらがひらいてゐる

   そこが最后のとうげだな

   するとさっきのあの楢の木の柵のある

   あすことこれで二つだな

      地図もやっぱり二っつだ

      松が幾本立ってゐる

      藪が陰気にこもってゐる

      そこにあるのはまさしく古い五輪の塔だ

      苔に蒸された花崗岩(みかげ)の古い五輪の塔だ

   あゝこゝは

   五輪の塔があるために

   五輪峠といふんだな

   ぼくはまた

   峠がみんなで五っつあって

   地輪峠水輪峠空輪峠といふのだらうと

   たったいままで思ってゐた

      そのまちがった五つの峯が

      どこかの遠い雪ぞらに

      さめざめ青くひかってゐる

      消えやうとしてまたひかる

   五輪は地水火風空

   むかしの印度の科学だな

   空というのは総括だとさ

   まあ真空でいゝだらう

   火はエネルギー これはアレニウスの解釈

   地と[]

   水[]

   風は物質だらう

   世界も人もこれだといふ

   心といふのもこれだといふ

   今でもそれはさうだらう

      そこで雲ならどうだと来れば

      気相は風で

      液相は水

      地大は核の塵となる

      光や熱や電気や位置のエネルギー

      それは火大と考へる

      そして畢竟どれも真空自身と云ふ。

        宇部五右エ門もやっぱりそれだ

        宇部五右エ門の糸織も

        きせるの銀もやっぱりそれだ

        それで結局宇部五右エ門が真空で

        卑怯な教化の(一字不明)文句になる

   あ何だあいつは

        いま前に展く暗いものは

        まさしく北上の平野である

        薄墨いろの雲につらなり

        酵母の雪に朧ろにされて

        海と湛える藍と銀との平野である

   向かふの雲まで野原のやうだ

   あすこらへんが水沢か

   どの辺だ君のところは

   どれかの丘のかげにあたってゐるだらうねえ

        雪がもうここにもどしどし降ってくる

        塵のやうに灰のやうに降ってくる

        つつぢやこならの潅木も

        まっくろな温石いしも

        みんないっしょにまだらになる

 

 


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