2020年、2021年と新型コロナ流行のため、例年9月22日~23日に行われる賢治学会の定期大会は中止(一部は書面またはオンライン開催)になっていたのですが、今年は3年ぶりに開かれることになり、積もる思いを込めて参加してきました。
9月21日午後の賢治祭には残念ながら都合で出られず、また事故で新幹線も遅れたりしたので、21日の夜遅くに新花巻駅に着きました。
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22日朝の、こちらは在来線花巻駅です。
10時から始まる定期大会の前に、下根子桜の羅須地人協会跡に行ってみました。
入口には、昨日の賢治祭で間違えてこちらに来てしまった人のための案内も出ています。
「下ノ畑ニ居リマス」の説明板。
賢治詩碑と広場。
花巻駅前まで戻って、宮沢賢治学会イーハトーブセンター定期大会/宮沢賢治賞・イーハトーブ賞贈呈式の開かれる、なはんプラザの前です。
会場内の様子。
「宮沢賢治賞」は、昨年刊行された『宮沢賢治探究』上下巻の圧倒的業績を称えて、栗原敦さんに贈呈されました。
栗原敦さんによる記念講演「旅人・無窮遠の…」。
「賢治は前生に永い間、諸国をたった一人で巡礼して歩いた宿習があって、小さいときから大人になるまでどうしてもその癖がとれなかったものだ」という、父政次郎氏の言葉を引きつつ、賢治が人間の生涯を大きな「旅」としてとらえている短歌・散文・詩篇を辿り、私たちの人生にも温かい励ましを下さいました。
続いて、「イーハトーブ賞」を受賞された「人形劇団プーク」のお二人による記念講演。1929年の劇団創設以来93年の歴史と、宮沢賢治作品との深い関わりが語られました。
賞贈呈式が終わると、お昼の休憩です。
これまた3年ぶりに、「マルカン大食堂」にやってきました。平日のお昼ですが、昔と変わらぬ賑わいです。
午後の部は、まず宮沢賢治学会イーハトーブセンターの定期総会。
次は「リレー講演」として、一席目は宮沢賢治賞奨励賞を授賞された古川日出男さんによる講演「銀河鉄道のほんとうの乗り方」。
賢治の生涯における「死」の主題を、「トシの死」「カムパネルラの死」「賢治の死」という三つの観点から語られ、さすがに鋭い言葉の切れ味を感じました。
「リレー講演」の二席目は、イーハトーブ賞奨励賞を受賞された「アザリア奇譚部」さんによる講演「宮沢賢治とアザリアの友たち」。
若いお二人による、『アザリア』同人13人に関する調査のプロセスと成果が、軽妙な掛け合いトークで披露されました。貴重な研究成果のエッセンス「13人の相関図」には、みんなが携帯のカメラを向けます。
「宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞」は、『同窓生が語る宮澤賢治』をまとめられた若尾紀夫さんに贈られました。この本も、個人的にとても重宝させていただいています。
功労賞の副賞は、恒例の「貝の火」「塩鮭のあたま」「
続いてのプログラムは、「イーハトーブ・サロン」。「私と宮沢賢治」と題して、全国の会員が5分間スピーチを行います。
今年は3年ぶりとあって、総勢9人の方々が登壇されました。それぞれの「賢治体験」というのは、ほんとに様々でみんな魅力的です。
17時すぎにプログラムが終了して、例年ならこれからお楽しみの「懇親会」があるのですが、今年は新型コロナのため中止となり、ここで1日目はお開きです。
終了後、私は大沢温泉宿泊組の「自主懇親会(ポランの会)」に参加しました。
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9月23日の朝は、まず宮沢賢治イーハトーブ館へ。
現在「宮沢賢治─沢村澄子 現象的書展」が開かれていて、早くもイーハトーブ館へのアプローチから、「ワレラヒカリノミチヲフム」が造形されています。
入り口横には、上の写真で正面奧に見える巨大な「わたくしという現象は……」。
展示室に入ると、賢治作品の文字たちが躍動しています。
10時からは、イーハトーブ館のホールで「宮沢賢治研究発表会」です。
この研究発表会は、一昨年は中止、昨年はオンライン開催で、対面形式で開かれるのはこれもやはり3年ぶりです。
12時30分に研究発表会が終わると、2階で少し打ち合わせの後、坂道を登って「宮沢賢治記念館」へ。
こちらの「雨ニモマケズ手帳」の特別公開がお目当てです。
やはり現物の賢治の筆跡には、存在感がありました……。
これで予定はすべて終了し、花巻空港から飛行機に乗りました。
上の写真は、伊丹空港着陸直前に、淀川を渡ったところです。
今回の旅行でやはり何と言っても最大の喜びは、賢治つながりのたくさんの方々に、また直接お会いできたことでした。
お世話になった皆様、どうもありがとうございました。
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