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ペンネンネンネンネン・ネネムの業績

 賢治の童話「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」は、非現実的な「ばけもの」の世界のお話であり、孤児から立身出世したネネムが突如として「世界裁判長」に就任し、絶頂からまた「出現罪」によって墜落する、という奇想天外なストーリーになっていますが、一方でその細部においては、これは賢治の目から見た当時の東北地方の現実社会の問題点を、象徴的に凝縮している面もあるように思えます。

 何よりその冒頭からして、飢饉によって家族の食糧が底を尽き、ネネムとマミミの両親が失踪して死んでしまうという幕開けは、東北の農村が直面していた厳しい現実を、題材としているのでしょう。

 ただ実際には、親と小さな子供がいる家族が食べていけなくなった場合、このお話のように親の方が死を選ぶのではなく、子供が「間引き」「口減らし」をされたり、売られたりするのが、一般的だったと思われます。もちろん明治以降になると、いくら飢饉とは言え親が子を直接殺すということは表向きはなくなったはずですが、柳田国男の『山の人生』には、彼が法制局参事官時代に調査した話として、食糧難に際する子殺しが記されています。

 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘をもらってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度さとへ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手からてで戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きなおのいでいた。阿爺おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向あおむけに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられてろうに入れられた。(岩波文庫『遠野物語 山の人生』pp.93-94)

20210919a.jpg あるいは、『遠野物語』にたくさん出てくる河童も、もとは飢饉の際に川に捨てられた赤子の霊に由来するのではないかという説もあります(畑中章宏『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』)。右の写真は、賢治の自宅近くの松庵寺にいくつも残されている、「餓死供養碑」です。

 食糧が足りず、親と子のどちらかしか生きられない状況下で、どちらが残るべきかという選択を迫られたとしたら、もし子供だけが残されても自分たちだけで生き延びていくのは困難でしょうから、現実世界のように「口減らし」によって親が残るという選択の方が合理的ではあるでしょうが、「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」ではその逆が選ばれました。
 「ばけもの」の世界では、陸地の空中で昆布を収穫するという設定のように、人間の世界とは「あべこべ」になっているのかもしれません。

 しかし、そこから先のネネムとマミミの境遇は、やはり人間社会の現実を如実に反映しています。
 男の子ネネムは、他に食べていく当てもなく、「てぐす昆布取り」という強制労働に従事させられることになります。これは、戦前の北海道などで行われていた、「タコ部屋労働」と言われるような状況に相当するものでしょう。明治以降の東北地方では、さすがに農民に対してこんな奴隷的労働が表立って行われることはなかったでしょうが、岩手県でも1932年に「矢作事件」が起こった大船渡線の鉄道工事現場などでは、相当に劣悪な環境での使役が行われていたことが記録に残っています。

 一方、女の子マミミは、人さらいによって誘拐され、行方が知れなくなってしまいますが、後にネネムと再会した時には、「奇術大一座」の花形踊り子になっていました。マミミの場合はたまたま幸運にも「スタア」になっていましたが、大正や昭和初期の東北地方の農村から「身売り」に出された少女たちは、都会で酌婦や売春婦として働かされるのが一般的でした。
 1931年~1932年頃の「昭和東北大凶作」の際の、娘たちの「身売り」の状況について、当時の新聞には次のように書かれています。(いずれも山下文男著『昭和東北大凶作 娘身売りと欠食児童』p.85より引用)

悪質な人買いの横行――本県(青森)の凶作は今や全国的な同情の的となり、見舞いの金品、救済の義援金が全国から集まり、凶作に苦しむ農民たちを感激させているが、その反面では、県下農民の窮状につけこみ、種々の手段を講ずる不徳漢も横行し始めている。その著しい例は、食うに食のない農民を言葉巧みに欺き、お屋敷奉公や女中奉公、小間使いに世話するなどと騙して二〇円、三〇円程度の小金を与えて娘を連れ出し、芸妓見習いや娼妓、酌婦などに売り飛ばす者があり、後で、娘からの便りによって、初めて騙されたことを知っても、その時は、前借金を弁償することができないため、泣き寝入りをする他なく、かくして農村から奪われて行く娘たちの数は相当あり、遠く京阪地方からまで、このようなやり方で人買いに来る者がある始末で、凶作に悩む農村は、ついに娘たちを略奪されるまで深刻になった。(『東京日日』青森版一九三一・一二・一五)

青森・南部地方の凶作地で娘地獄――凶作農村の困窮ぶりは昨今に至ってますます深刻になり、県の社会課に救助を願い出る者などもあって事態が憂慮されている。南部地方の凶作農村では、食料が全く欠乏している結果、背に腹は代えられぬと、可愛い娘を娼妓に売って生活費に充当する者などがおり、某村の如きは、最近、七人の娘たちが買われて行ったとの報告があって社会課では吃驚し、何とか救助しなければならないと、家庭の事情を調査するよう依頼している。(『時事新報』一九三二・三・一五)

 ネネムやマミミの置かれた境遇は、おそらく賢治が子供の頃から見聞きしてきた農村の苦しみを、反映したものだったのです。

 さて、そのような境遇に生まれたペンネンネンネンネン・ネネムは、「一、ペンネンネンネンネン・ネネムの独立」の章で奴隷的労働から解放され、「二、ペンネンネンネンネン・ネネムの立身」の章で、一気に世界裁判長に就任します。
 そして、「三、ペンネンネンネンネン・ネネムの巡視」と「四、ペンネンネンネンネン・ネネムの安心」の章で、それぞれ大きな仕事をするのですが、その内容は次のようなものです。

 まず「三、ペンネンネンネンネン・ネネムの巡視」の章では、「フクジロ」と呼ばれる「怖い子供のやうな」ばけものがマッチを押し売りして、皆に恐れられているのを見て、ネネムは義憤に駆られ、何とかしてやめさせようとします。そして、フクジロを捕らえて尋問すると、次のように言うのです。

「巡査さん。それはひどいよ。ぼくはいくらお金をもらったって自分で一銭もとりはしないんだ。みんな親方がしまってしまふんだよ。許してお呉れ。許してお呉れ。」

 そこでネネムがその「親方」を捕らえると、今度はその親方は次のように言います。

「お役人さん。そいつぁあんまり無理ですぜ。わしぁ一日一杯いっぱいあるいてますがやっとふだけしか貰はないんです。あとはみんな親方がとってしまふんです。」

 それでまたネネムがその親方を捕まえると、またこう言うのです。

「これはひどい。一体どうしたのです。ははあ、フクジロもタンイチもしばられたな。その事ならなあに私はたゞかうやって監督かんとくに云ひつかって車を見ているだけでございます。私は日給三十銭の外に一銭だって貰やしません。」

 これを聞いたネネムは、さすがに問題の根の深さがわかってきます。

「ふん。どうも実にいやな事件だ。よし、お前の監督はどこに居るか、云へ。」
「向うの電信柱の下で立ったまま居睡ゐねむりをしているあの人です。」
「さうか。よろしい。向うの電信ばしらの下のやつをしばれ。」巡査や検事がすぐ飛んで行かうとしました。その時ネネムは、ふともっと向ふを見ますと、大抵たいてい五間きぐらゐに、あくびをしたりうでぐみをしたり、ぼんやり立ってゐるものがまだまだたくさん続いてゐます。そこでネネムが云ひました。
一寸ちょっと待て。まだ向ふにも監督が沢山居るやうだ。よろしい。順ぐりにみんなしばって来い。一番おしまひのやつを逃がすなよ。さあ行け。」
 十人ばかりの検事と十人ばかりの巡査がふうとけむりのように向ふへ走って行きました。見る見る監督どもが、みんなペタペタしばられて十五分もたたないうちに三十人というばけものが一列にずうっとつづいてひっぱられて来ました。

 そこでネネムが、一番おしまいの「監督」を尋問し、32人ものばけものを使ってフクジロにマッチを法外な値段で売らせているなと問い詰めると、そのばけものは全く悪びれもせず、次のように言います。

「これはけしからん。私はそんなことをした覚えはない。私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になってゐる。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、にっプで三十円ずつとる商売なんだ。」

 そして残りの31人も、全員が「自分には借金があるので、その返済のために、別のばけものに貸した金の一部を取り立てているだけだ」と言うばかりで、誰か一人の「黒幕」がいるというわけではないのです。みんなそれぞれ毎日忙しくお金を出し入れしていますが、「自分がお金を動かしてる」わけではなくて、実は「お金によって動かされている」のです。
 ネネムとしては、ここには何か良くないことがあるとは感じるものの、いったい誰を罰すれば問題が解決するのか、わからなくなってしまいます。

 さて、ここで起こっている現象を俯瞰してみると、これは人間(またはばけもの)一人一人の意志を越えた次元で起こっている動きであり、マルクスが言うところの「資本の自己運動」に他なりません。自由な取引の行える市場において「資本(G)」は、ある条件下で G―G'―G''―G'''……と自己増殖する運動体となり、そこに参加している人間は、主体ではなく全体の中の一つの「歯車」のような存在になってしまいます。いったんそこに入ると、破産したくなければ歯車となって回り続けるしかないのが、資本主義経済の宿命なのです。
 フクジロの後ろに連なる金貸したちは、何も一人一人が大悪党なわけではなく、各々はただ疎外された歯車になっているにすぎませんでしたが、なおかつ誰もが自分の仕事を止めることもできないのです。

 賢治が、「資本」に対するこのような見方を持つに至る上で、大きな役割を果たしたのは、家業である質屋の店番をしていた時の経験だろうと思われます。
 佐藤隆房著『宮沢賢治』の「質屋の手代」という章には、次のようなエピソードが書かれています。

 お金を借りに来る人が、つまらない値もないような品物を持って来ます。すると賢治さんは、たとえばそれがちょっとも動かない時計であっても、それで借りたいと希望するだけの額を、父親に相談もせず、一存で貸してやります。
「賢治、お前……値段もない物に値段以上貸してやったら家が潰れるより外はないんだが、そんなことで先々はどうするつもりだす」
「そだって向こうはなんたって、それくらいほしいと言うんだがら」
 万事がこの調子で、借り手の頼みとあれば、品物の値段以上にどんどん貸し出してやります。そんなのは受け出しに来ないことは勿論です。

 賢治も、こんな「良心的」な商売を続けていては宮澤商店が潰れてしまうことを教えられて、やがて渋々ながらも、預かった質草に見合う額だけの金銭を貸し、受け戻しの際には元金と質料(質預かり手数料+品物の保管料)を確実に徴収する、という仕事をするようになったはずです。
 それは、生活に困窮する貧しい人々から質料を取り立てて、それを自分たちの生活の糧にするという、賢治にとっては非常に心苦しい営みだったでしょう。しかし、いったん質屋で生計を立てるようになった以上、それをやり続けないと自分たちが食べていけなくなってしまうわけで、好むと好まざるにかかわらず、経済の一つの「歯車」となって、お金を回し続けるしかないのです。
 宮澤家も、30人ほど引っ立てられたばけもののうちの、一人なのです。

 賢治としては、社会がこのような仕組みになっていて、そのままでは格差がどんどん再生産されていくことは、何とかして是正しなければならないと思っていたはずで、だからこそ労農党のシンパにもなっていたのでしょう。
 ただそこで、世界裁判長ネネムがフクジロやその背後の金貸したちに出した判決は、次のようなものでした。

「よろしい。もうわかった。お前がたに云ひわたす。これは順ぐりに悪いことがたまって来てゐるのだ。百年も二百年もの前に貸した金の利息を、そんなハイカラななりをして、毎日ついてあるいてとるといふことは、けしからん。ことにそれが三十人も続いてゐるというのは実にいけないことだ。おまへたちはあくびをしたりゐねむりをしたりしながら毎日をくらして食事の時間だけすぐ近くの料理屋にはひる、それから急いで出て来て前の者がまだあまり遠くへ行ってゐないのを見てやっと安心するなんといふ実にどうも不届きだ。それからおれがまうけるんぢゃないと云ふので、悪いことをぐんぐんやるのもあまりよくない。だからみんな悪い。みんなを罪にしなければならない。けれどもそれではあんまりかあいそうだから、どうだ、みんな一ぺんに今の仕事をやめてしまえ。そこでフクジロはおれがどこかの玩具おもちゃの工場の小さなへやで、ただ一人仕事をして、時々お菓子かしでもたべられるようにしてやらう。あとのものはみんな頑丈ぐわんぢゃうそうだから自分で勝手に仕事をさがせ。もしどうしても自分でさがせなかったらおれの所に相談に来い。」

 ネネムの解決策は、それまでの借金を全て棒引きにする一種の「徳政令」で、フクジロだけには仕事を世話してやる一方で、それ以外の31人の金貸しは、廃業して自分で勝手に仕事を探せ、というものでした。この判決に、見物人はよろこんで、「えらい裁判長だ。えらい裁判長だ。」と、ときの声をあげたということです。
 この策の是非を真面目に論ずることは措くとして、いずれにせよ賢治が裁判長ネネムに取り扱わせた、この資本主義的搾取の問題は、賢治自身が当時の現実社会において憂慮していた事柄の一つだったと思われます。

 次に、「四、ペンネンネンネンネン・ネネムの安心」の章では、先述したネネムの妹マミミの救出が描かれます。
 誘拐された小さな妹のことを片時も忘れなかったネネムは、まだ体の柔らかい幼い少女を「しんこ細工」という踊りに使っているという話から、ついにテヂマアの大奇術団で華やかに踊っているマミミを発見するのです。
 ネネムはすぐにでもマミミを連れ帰ろうとしますが、テヂマアの方は、「女の子の方は見ろ。この位立派になってゐる。もうスタアと云ふものになってゐるぞ。お前も裁判長ならよく裁判して礼をよこせ。」と、マミミの身柄の対価を主張します。これは、上の『東京日日』の記事にあったように、娼妓や酌婦として売り飛ばされた娘を家族が連れ戻そうとしても、「前借金の弁償」が大きなネックになっていたという話を連想させます。

 これに続くネネムとテヂマアのやり取りは、次のようなものでした。

「しかしお前は何故なぜしんこ細工を興業するか。」
「いや。いやいややや。それは実に野蛮やばんの遺風だな。この世界がまだなめくぢでできてゐたころの遺風だ。」
「するとお前のところぢゃしんこ細工の興業はやらんな。」
勿論もちろんさ。おれのとこのはみんな美学にかなってゐる。」
「いや。お前はえらい。それではマミミを返して呉れ。」
「いいとも。連れて行きなさい。けれども本人が望みならまた寄越よこして呉れ。」
「うん。」
 どうです。たうたうこんな変なことになりました。これといふのもテヂマアのばけもの格が高いからです。

 すなわち、「野蛮の遺風」ということを気にしたテヂマアは、なぜか利害よりも美学を重んずるようで、あっさりマミミを手放したのです。
 このあたりの成り行きは、お話の中にも「たうたうこんな変なことになりました」と書かれているように、ちょっと唐突で不思議な感じがしますが、大正~昭和初期に行われていた「娘の身売り」も、過去の「人身売買」という暗黒の遺風の名残りと言えることは、確かです。おそらく当時それは、上の新聞記事に見るように、根絶すべき過去の野蛮な遺風として、マスコミでも問題視するキャンペーンが展開されていたのではないでしょうか。

 以上、「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」において、世界裁判長ネネムが行った仕事として挙げられている、二つの業績を見てみました。
 先日、「父からの分離と墜落恐怖」という記事に書いたように、この童話においては、主人公が「父権的秩序」から自由になって、とにかく奔放な自我の赴くままに生きていくところに特徴があるのではないかと、私は感じています。
 そのような自由な自我の発露において、作者賢治が主人公の英雄的行動として描いた内容が、「資本による収奪からの解放」と「食糧難を背景とした拘束労働からの解放」であったことは、当時の彼自身の社会的問題意識のありかを、反映していたのではないかと考える次第です。

 これが、晩年の「グスコーブドリの伝記」になると、物語冒頭の飢饉を伏線として「冷害・旱害からの解放」という点に、絞られることになります。結果を社会的に解決するよりも、その原因を科学的に解決する、という変化です。