日本人の他界観の重層性

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 先日書いた「トシ追悼過程における他界観の変遷」という記事のように、最近の私は「死生観」とか「異界論」にかなり嵌まっている関係上、去る17日(日)に上智大学グリーフケア研究所東京自由大学が上智大学において開催したシンポジウム「日本人の異界論~妖怪妖精と異界論をめぐって~」という企画に興味を引かれて、聴きに行ってきました。

「日本人の死生観」チラシ

 これは、一昨年の11月30日に亡くなられた水木しげるさんの追悼企画で、水木さんの人となりを偲びつつ、その作品に顔を出す「異界」や「他界」について論じ合い、日本人の死生観の基層に迫る、というような内容だったのですが、生前の水木しげるさんは、「到るところに異界や他界が口を開けている」という感覚を常に持っておられた方だったそうで、そういうところは宮澤賢治にも共通する感性だなあ、などと思いながら皆さんのお話を聴いていました。
 その中でも、文化人類学者・民俗学者の小松和彦さんが、「日本人の他界観というのは非常に重層的で、互いに矛盾し合っているようなものが矛盾と意識されずに混在しているのが特徴だ」とおっしゃっていたところは、賢治について考えていた私にとっても、まさにその通りと実感することでした。たとえば日本人は、親族などが亡くなったら、故人の「成仏」を祈りながらも、しかし一方では「今ごろ母さんは天国で亡くなった父さんと会って話をしてるかなあ」などと言ったり、また一方では「私たちを草葉の蔭で見守ってくれてるんだな」とも思ったりしていて、では実のところはいったいどこに故人がいると考えているのかと聞かれると、ちゃんと筋道立てて答えるのは難しいでしょう。

 賢治の場合も、「トシ追悼過程における他界観の変遷」で見たように、仏教的な輪廻転生観や、日本的な山上他界観や、海上他界観や、鳥への転生のイメージなどが同時に混在しながら、しかも相互に矛盾しているとはあまり意識されていない様子です。つい数年前までは、仏教の教理や解釈をめぐって父親と激論を戦わせていた賢治は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
 しかしこのように、死後のことについては理屈ではなく感性でとらえて矛盾も許容するという傾向は、何も賢治にかぎらず、日本人全般に共通する特徴だということなのです。

 ところで、東京へ向かう新幹線の中で読んでいた『死をみつめて生きる~日本人の自然観と死生観』(上田正昭著)という本に紹介されていた、禅林寺(永観堂)所蔵の「山越阿弥陀図」という国宝は、こういう日本人の他界観の重層性を、まさにそのまま具現化してくれているような絵です。(下の図像は龍谷大学 人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センターより)

山越阿弥陀図

 この屏風は、今まさに臨終を迎えようとする往生者の傍らに立てて、その人の浄土への往生を確かなものとしようとするためのもので、図の中の阿弥陀如来の両手には、五色の糸を付けていた孔が残っているのだそうです。その五色の糸を、病人の手に結びつけて念仏を唱えさせ、臨終を迎えたその時には、そのまま阿弥陀如来が西方浄土へと導いてくれるように、との願いが込められているのです。
 ここまでのところは、本来の仏教信仰に基づいていますが、絵を見ていただいたらわかるように、阿弥陀如来はなだらかな山の上に姿を現わしており、さらにその背後には、暗い海が遙かに水平線まで続いているのです。

 すなわち、ここには「死んだら魂は故郷を見下ろす山の上に行く」という柳田國男的な山上他界観と、「死者の魂は海の彼方にある補陀洛の浄土へ行く」というニライカナイ的な海上他界観とが、仏教的浄土に重ね合わされているのです。
 阿弥陀如来に導かれつつ、山の上に昇り、また同時に海の彼方に行く、という一見矛盾したような他界観が、ここでは何とも不思議に融合されていて、このどこか懐かしいような夢にも出てきそうな景色は、私たちの集合的無意識の底にある何かに、つながっているのではないかという感じさえしてきます。

 賢治が死んだトシを、駒ヶ岳山上の「雲のなか」(「噴火湾(ノクターン)」)や、あるいはオホーツク海の水平線の「青いところのはて」(「オホーツク挽歌」)にいるのではないかと思う時、やはり彼の心の底には、こういう風景があったのではないかとも、思ったりしてみています。