本当に暑い毎日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
それにしても、ついに本日8月12日の午後1時42分、高知県の四万十市西土佐において、気温摂氏41.0度が観測されました。これは、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で記録された40.9度を上まわり、日本における最高気温が、6年ぶりに更新されたのです。
これまでの、日本における歴代の高気温ランキングトップ20は、下の表のようになっています。(気象庁「歴代全国ランキング」にデータ追加)
順位 | 都道府県 | 観測所 | 観測値 | |
℃ | 起日 | |||
1 |
高知県 |
四万十 |
41.0 |
2013年8月12日 |
2 |
埼玉県 |
熊谷 |
40.9 |
2007年8月16日 |
2 |
岐阜県 |
多治見 |
40.9 |
2007年8月16日 |
4 |
山形県 |
山形 |
40.8 |
1933年7月25日 |
5 |
山梨県 |
甲府 |
40.7 |
2013年8月10日 |
5 |
高知県 |
四万十 |
40.7 |
2013年8月10日 |
7 |
山梨県 |
甲府 |
40.6 |
2013年8月11日 |
7 |
和歌山県 |
かつらぎ |
40.6 |
1994年8月8日 |
7 |
静岡県 |
天竜 |
40.6 |
1994年8月4日 |
10 |
山梨県 |
勝沼 |
40.5 |
2013年8月10日 |
11 |
高知県 |
四万十 |
40.4 |
2013年8月11日 |
11 |
埼玉県 |
越谷 |
40.4 |
2007年8月16日 |
13 |
群馬県 |
館林 |
40.3 |
2007年8月16日 |
13 |
群馬県 |
上里見 |
40.3 |
1998年7月4日 |
13 |
愛知県 |
愛西 |
40.3 |
1994年8月5日 |
16 |
千葉県 |
牛久 |
40.2 |
2004年7月20日 |
16 |
静岡県 |
佐久間 |
40.2 |
2001年7月24日 |
16 |
愛媛県 |
宇和島 |
40.2 |
1927年7月22日 |
19 |
山形県 |
酒田 |
40.1 |
1978年8月3日 |
20 |
岐阜県 |
美濃 |
40.0 |
2007年8月16日 |
20 |
群馬県 |
前橋 |
40.0 |
2001年7月24日 |
全体を見渡して、ほとんどが1990年代以降の記録であるのが、特徴的ですね。
一般に、異常な高気温が起こる原因としては、「フェーン現象」、「ラニーニャ現象」、「ダイポールモード現象」、「エルニーニョもどき」などの現象が関与しているそうですが、特にこの20年の間に猛暑が頻回に観測されるようになった理由としては、地球温暖化や、都市における「ヒートアイランド現象」も影響していると言われています。
とは言え、単にそれだけで近年の暑さが説明できるわけでもないようなんですね。まだよくわかってない、20世紀末からの高気温なのです。
ところで、このような近年の異様な猛暑続きにも負けず、つい6年前まで、実に74年間も日本観測史上最高気温の地位に君臨し続けていた記録がありました。上の表ではもう第4位にまで後退してしまいましたが、赤太字で示した、1933年(昭和8年)7月25日の山形市で観測された、「40.8℃」です。
これは、私なんかも小学生の時に習った記憶がありますし、おそらく多くの昭和生まれの方々にとっても、いまだに印象に残っている数字ではないでしょうか。
1994年以降の猛暑の常態化で、歴代20位の記録がどんどん塗り替えられていった中で、これだけはつい最近まで、不動の1位の座を守り続けていたわけですね。昭和8年というこの年が、当時においてはどれだけ突出した暑さだったのかということが、今さらながら感じられます。
上は、史上最高気温を観測した翌7月26日の、『山形新聞』の紙面です。
昨二十五日の酷熱は驚くなかれ摂氏四十度八、華氏百五度五といふ殺人的な厚さで、街頭のアスフアルトは融け、飼鯉は斃死し、脳病院では特別患者に神経を尖らし荷馬車の馬が心臓麻痺でも起こしさうな酷熱ぶり。
との言葉が、厭が応にも暑さを伝えていますね。
この年の暑さは、山形に限らず全国的なものだったようで、夏期の平均気温は平年に比べ+0.57℃となり、これは1961年に更新されるまで、「最も暑い夏」でした。とりわけ、7月の平均気温は、平年の+1.36℃で、これも現在までの観測史上6位だということです。
◇ ◇
さて、この年に彼自身の「最後の夏」を病床で迎えていた宮澤賢治の書簡も、その暑さを記しています。
478 七月十六日 菊池武雄あて
貴簡難有拝誦、ご元気で何よりです。私もどうやらやって居りますからご安心ください。こちらもずゐぶん暑い夏です。が稲作はいゝやうです。岩手出身の画家方の展覧会があったさうで実にみたいと思ひました。前からの動きを知ってゐる人なので殊にさう思ひました。今夏のお作期して待ちます。483 八月四日 沢里武治あて
お葉書ありがたう存じます。
ずゐぶん暑い夏でしたが皆々様ご健勝のご様子賀しあげます。
私もお蔭で格別の変りもありません。たゞ今度は幾分肺にラッセル残り、この前のやうにすくすくとは治りません。外へは出られませんが、家の中の仕事はまづ自由なのでまあ退屈もせずやって居ります。 まづは
(強調は引用者)
7月25日の山形における史上最高気温の記録を、賢治が知っていたかどうかはわかりませんが、その前後に位置する上の二つの書簡に、「ずゐぶん暑い夏」との言葉が重ねて出てきます。
そして、8月の終わりの書簡では、この暑い夏を含む春から秋への気候全体を振り返り、賢治らしく稲作への影響を分析します。
484a 八月三十日 伊藤与三あて
(略)
当地方稲作は最早全く安全圏内に入りました。初め五月六月には雨量不足を憂ひ、六月も二十五日になってやっと植付の始まった地区さへあり、また七月の半には、湿潤のため各所に稲熱病発生の徴候も見えたりしたのでしたが、結局は全期間を通じての数年にない高温によって成育は非常に順調に進み、出穂も数日早く穂も例年より著しく大きく、今の処県下全般としては作況稍良と称せられてゐますが、西の方の湿田地帯などは仲々三割の増収でも利かないやうに思はれます。
(略)
◇ ◇
そして、史上最も暑かったこの夏は、賢治の予想どおり秋の稔りに結実します。
それが最終的に、絶筆の短歌に描かれることになったんですね。
方十里 稗貫のみかも
稲熟れて み祭三日
そらはれわたる
賢治没後80年目の夏が、当時の暑さを更新しつつ、過ぎていきます。
ばばば
今年も夏の前半は東北地方は梅雨明けが遅れ水稲のイモチ病が心配されましたが、一転して猛暑となり、水稲の作柄予想は好転しました。1933(昭和8)年と少し似た夏です。農業機械や情報システムなどは発展しましたが、賢治の時代も、今も、農業関係者が天気に一喜一憂するのはかわりません。賢治の手紙に共感しました。
2013年7月末の水稲早期冷害警戒システムの情報(低温長雨が心配されたころ)
http://www.reigai.affrc.go.jp/keikai/keikai2013/keikai13.html
hamagaki
ばばば様、コメントをありがとうございます。
ご教示いただいたサイトを拝見すると、確かに今年の夏は、賢治が亡くなった年の夏と、気候も稲作の状況も似ているのですね。
80年を隔てて、不思議な符合を感じます。
それにしても、気象学などが賢治の時代よりもはるかに進歩したと思われる現代でも、ほんの3週間ほど前の7月末の時点では、「気温がかなり低くなる可能性」の方の警戒情報が出されていたんですね。
天候を相手とすることの難しさを、あらためて感じさせられます。
しかしそれだけに、いろいろと気を揉み、心を砕いた末に、最終的な好天に恵まれて稔りの秋を迎えられた時には、賢治の絶筆に詠まれたように喜びもひとしおなのでしょう。
今年の夏は本当に歴史的な暑さでしたが、それだけ豊かな秋が全国で迎えられることを、祈りたいと思います。