今日は、伊丹発10時50分といういつもより少し遅い便に乗り、お昼すぎに花巻に到着しました。関西から東北地方へ飛ぶあいだ、通過したどこの空も晴れ渡っていました。
空港を出ると、まず「イーハトーブ館」に少しだけ寄って、『ワルトラワラ』25号で牛崎敏哉さんが、私の去年発表した「「黒と白との細胞」による千億の明滅」にご親切にも触れていただいているのを購入し、ホテルに荷物を置いて、下根子の賢治詩碑に向かいました。
花巻の町を歩くとすごい暑さで、はじめてこの町を訪れた8年前のことを思い出します。その後、お盆の頃には岩手県地方を旅することが多いのですが、だいたいその旅行中に、その年最初の「つくつく法師」の鳴き声を耳にするのが、毎年の恒例になっています。その例にもれず、今日の午後、下根子の林の中で、今年初めて「つくつく法師」の声を聞きました。
詩碑前の広場は、日曜日にもかかわらず静かでした。強い日差しを背後から浴びながらも、しっとりと湿り気を含んだような、あの大きな碑石をしばらくぶりに拝んで、広場の東の端の方の木陰で、1時間ほど過ごしました。
それから、また市街地の方へ戻るべく歩きはじめましたが、「桜地人館」の前に、賢治の格好をした「案山子」のようなものが立っていて、最初に目にした時は、一瞬ぎくっとしてしまいました(下写真)。前からこんなの、ありましたっけ?
炎天下、また豊沢川を渡って、賢治生家や「蔵」の前を通り、上町を西に進み、鍛冶町にある賢治の母イチの実家「宮善」(現「宮澤商店」)に向かいました。ここでは数年前から、賢治の生誕月である8月だけ、賢治が「産湯」をつかったという「井戸」が公開されているのです(右写真)。
宮澤商店の立派な門を入ると、賢治記念会の方が現れて、とても丁寧に説明をして下さいました。そして、実際にその井戸から釣瓶で水を汲み上げる体験もさせていただきました。
井戸水は水温14℃ほどということで、ほんとうに冷たく気持ちのよいものでした。(ちなみに、この時の気温は34℃。)
「産湯の井戸」を後にして、上町の方に戻ると、すでにさっきからにぎやかな音楽が流れてきていた、「大堰川プロムナード」に行ってみました。ここでは、今年が第一回目となる「イーハトーブ音楽祭」という催しが、行われていたのです。
花巻以外からも含めて50以上のグループが参加し、4つの会場に分かれて、それぞれの人々がそれぞれの歌や演奏を繰り広げています。
今年からは、これまで毎年8月に行われていた「賢治生誕祭」はなくなってしまいましたが、この「イーハトーブ音楽祭」は、「みんなで新しい花巻の夏祭りを創りましょう」という言葉をキャッチフレーズにしており、生誕祭のなくなった夏を、これから盛り上げてくれるイベントに育っていくのかもしれません。
下からは、会場の雰囲気を少しだけお聴きいただけるようにしてみました。5時前の「フィナーレ」の中から、懐かしい「遠い世界に」です。
はやし よしこ
時代のせいか、「遠い世界に」を、テレビでも聴きました。
新聞記事も、読みました。
わたしは、NHKの「みんなのうた」で、この曲を子どもの頃に、聴いて、覚えました。
hamagaki
はやし よしこ様、こんにちは。
「遠い世界に」を歌っていた「五つの赤い風船」というグループが昔好きで、この歌はある時期の私にとって、「聖なる歌」というほどの存在でした。(すでにグループは解散していましたが。)
まだフォークソングが、若者の間でブームだった頃の話です。
雲
フォークソングも、若い先生たちによって、良い歌だと推奨されてた頃、小学生高学年でした。
卒業式では、赤い鳥の「翼をください」や「マイ・ウェイ」でした。