「黒と白との細胞」による千億の明滅(800字要旨)

 今日、宮沢賢治学会イーハトーブセンターから、この22日~23日に行われる定期大会および研究発表のプログラムが送られてきて、チラシの裏に私の「発表要旨」も掲載されていました。
 ところが、その私の原稿の中で、「意識とは「脳」の機能である」となっているべき箇所が、「意識とは「能」の機能である」というふうに不思議な誤植になっていて、これでは意味が不明ですので(笑)、下記にあらためて「発表要旨」を載せておきます。
 これは、当日の会場資料用の原稿で、今回発送されたものの倍の字数のヴァージョンです。

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「黒と白との細胞」による千億の明滅

 「〔黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり〕」という作品は、人間の「意識」というものに対して、自然科学的な立場から一つの見方を示したものと言える。そこでは、意識は「脳」の機能であることが暗黙の前提とされ、その物質的な構成要素が順次さかのぼられて、最後に全体が俯瞰される。
 しかしこの作品冒頭に出てくる「黒と白との細胞」とは、いったい何のことを言っているのだろうか。これが、本日のテーマである。

 そもそも、脳の切片をいくら顕微鏡で観察しても、黒色や白色の細胞が見えるわけではない。脳に限らず、現実の色彩として「黒と白との細胞」なるものは、人体のどこにも見つからない。
 そうするとこの言葉は、細胞の外見的な特徴を述べているのではなくて、その何か別の意味における性質を、比喩的に表しているのだと考えざるをえない。

 ところで、「黒白(こくびゃく)を明らかにする」とか「白黒(しろくろ)を付ける」という表現に見るように、この二つの対極的な色は、灰色領域(グレー・ゾーン)を排して対象を画然と二つに区別する際の比喩として用いられる。ここで連想されるのは、「神経細胞は、『静止状態』か『興奮状態』の二つの状態のいずれかを取りうるだけで、その中間の状態は存在しない」という神経生理学的法則(「悉無律」)である。

 脳のこのような特性は、コンピュータが01の二つの組み合わせだけであらゆる情報を処理していることと全く相似であり、脳にある約1000億個の神経細胞の各々が二つの状態のどちらであるかという可能性の順列組み合わせが、脳が取りうる状態=人間の意識の状態のすべてなのである。
 すなわち、物理的には、「黒と白との細胞のあらゆる順列」こそが、「意識の流れ」なのである。

 発表では、はたして賢治がこのような当時最先端の神経生理学の知見に触れえたのかという問題について検討し、さらにこの見方と『春と修羅』の「」の意識観とを、対比させてみる。

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 まだスライドは作成中なのですが、当日は、いかにして「賢治がこのような当時最先端の神経生理学の知見に触れえたのか」というところの議論に、かなりの時間がかかりそうです。