宮澤賢治の童話「洞熊学校を卒業した三人」、あるいはその初期形「蜘蛛となめくじと狸」を読むと、主人公の一人である「赤い手長の蜘蛛」の巣が、着実に進化していく様子が印象的です。
お話のスタートにおいて、すでに洞熊学校の学費でお金を使ってしまった蜘蛛は、無一物から出発し、ひもじいのを我慢しながら一生けん命糸をたぐり出して、やっと小さな二銭銅貨位の網をかけました。
(ちなみにこの「二銭銅貨位の網」という素敵な喩えが、初めてこれを読んだ小学生の時からずっと、私の心に残っています。二銭銅貨は直径31.18mm、なんと可哀らしいクモの巣でしょう!)
この後、蜘蛛は刻苦勉励を重ね、その網はやがて「一まはり大きく」なり、さらに「三まはり大きくなって、もう立派なかうもりがさのやうな巣」になり、そして最後には、「あちこちに十も網をかけたり」するのです。
なんと見事なクモの巣の進化でしょう!
さて、昨日この欄で入沢康夫さんの最新作「クモの巣進化論」のことについて触れましたら、作者様のご高配のおかげで、5月12日朝日新聞(東京版)夕刊文化欄に掲載されていたその詩を、本日拝読することができました。
それは、もちろん例のよく似た題名の今年上半期ベストセラー本を下敷きとしつつ、実際に描かれているのは、賢治の作品を彷彿とさせるようなけなげなクモの夫婦だったのです。私は少し種明かしをしていただいただけなのですが、一緒に登場する生き物たちの名前も、かのベストセラー本に出てきた用語を象徴的に寓意するものになっているのでした。
それにしても、入沢康夫さんの作品というのは、どれも読めば読むほど縦横にクモの巣のように張りめぐらされた伏線があるものですが、これはまた全体としては、賢治の作品をユーモラスに「本歌取り」した構造になっていたわけです。
それは、『アルボラーダ』に収められていた「擬川柳」のように、賢治の世界の意外な別の断面を見るようでもあり、またこちらは「五七五」より長い分、もともとは別の「お話」だったのに、ふと déjà vu のように、賢治世界が顔を覗かせたような印象もあります。
ちなみに私がこんなブログなどを書いたり、高名な詩人とお近づきになれたりするのも、この進化した「クモの巣」のおかげですが、願わくばこちらの方は、腐敗したり雨に流れたりしないでおいてほしいものです。
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 梅田 望夫 筑摩書房 2006-02-07 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
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