日詰の思い出

 賢治の初恋の人かという説のある日詰の高橋ミネさんの実家跡を、この1月に私が訪ねてみたというブログの記事を見て、ミネさんの親族の方から、メールをいただきました。

 お話からすると、その方はミネさんの「曾甥孫」のお嫁さんにあたる、ということです。と言ってもわかりにくいですが、要は、その方のご主人の曾祖父が、高橋ミネさんの異母兄にあたるということです。
 屋号「高福」と呼ばれた高橋家は、戦前はとても繁昌していたそうですが、戦後は農地改革などもあり、現在はそのお店のあった土地も売却されています。
 以前そのお姑さんが、「宮澤賢治の初恋の人の事を調べてる先生が訪ねてきたけれど、昔を知る人は皆亡くなってるしね・・・」とおっしゃっていたということでした。「先生」とは、誰だったのでしょうか。


さくらばな
日詰の駅のさくらばな
風に高鳴り
こゝろみだれぬ。    [473]

 上の短歌は「歌稿〔B〕」の「大正六年四月」という章に収められています。岩手病院入院の3年後ですね。当時、賢治は盛岡高等農林学校の3年ですが、何かの理由で日詰の駅にやって来たことは確かです。日詰へ来ると「こゝろみだれぬ」というのは、やはり「初恋の人=高橋ミネ」説の、ごく小さな傍証の一つではないでしょうか。

 下の写真は、昭和49~50年頃に撮影された日詰駅の旧駅舎です。これは明治23年に建てられたということで、賢治が降り立ったのも同じこの建物だったわけですね。

旧日詰駅