目覚ましを6時にかけてあったので、何とか頑張って起きて着替えると、6時半頃に表に出てみました。 まだ薄暗い中を、雪を踏んで市役所の方まで行く途中、出会ったのは雪かきをしている男の人一人だけの静かな朝です。
じつは、朝7時に市役所のスピーカーから流れるはずの「精神歌」のチャイムを近くで聴きたくてここまできてみたのですが、今日が日曜日であることを忘れていました。そろそろ東の空が紅くなってきた頃に、いったんホテルに帰りました。
朝食をとると、まずイーハトーブ館に向かい、現在展示中の「鈴木東蔵展」と「全賢フェスタ」を見て、それから書店で今は絶版になっている本を1冊買い、2階の図書室で少し資料をコピーさせてもらいました。館を出て、「ポランの広場」と名づけられている庭園や遊歩道も今日はすべて雪に埋もれたところを苦労して登り、久しぶりに宮沢賢治記念館を見ました。
連休中とは言え、さすがに雪の中観光客は少なく、のんびりと楽しむことができました。
このあと、お昼は「マルカンデパート」の展望大食堂で、「マルカンラーメン」というのを食べました。 言わば、ラーメンの上に、たっぷりの八宝菜を豆板醤風味にした「あん」が掛かっているというもので、 この食堂の人気メニューの一つです。 それにしても、さすがにここはいつもながら大盛況です。
このあと、また雪の花巻の街を歩いて、林風舎に寄ったりお茶を飲んだりしてから、ホテルに帰りました。
イーハトーブ館でコピーしてきた資料の一つは、川原仁左衛門編『宮沢賢治とその周辺』の一部ですが、これが「賢治の初恋の看護婦さん」を、日詰出身の高橋ミネさんと同定した最初の文献だったわけです。実際に川原氏の記述を読むと、そう言える証拠というものは特に記載されていないのですが、なぜかその後も大半の研究者は、この説を支持しているようです。
やはりなんと言っても、胡四王山から「紫波の城」を望んだ短歌群(小川達雄『隣に居た天才』参照)や、文語詩「丘」を見ると、ある時期の賢治が紫波のあたりに特別な思い入れをしていたことは十分に感じられます。また小川達雄氏の調査によれば、川原仁左衛門氏の奥さんの実家は、高橋ミネさんの実家(「高福」という日詰の大きな八百屋)の筋向かいで、川原氏は何か根拠となるような重要な情報を直接に聞いていたのではないか、というのが小川氏の推測です。
明日は天候が許せば、この日詰のあたりを訪ねてみたいと思っています。
夜は、居酒屋「早池峰」へ行きました。こたつの席に座れなかったのは残念でしたが、お刺身の盛り合わせ(鯛、マグロ、カンパチ、ホタテ、イカ、それになぜか卵焼きも)と、味噌仕立ての「早池峰鍋」(写真奥)、鯛のかぶと焼き等をおいしくいただきました。
花巻という内陸の地にありながら、このお店は海の幸も比較的新鮮で、いつもたっぷり食べられて価格も良心的だと思います。
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