昼間の仕事を終わらせて、17時47分に京都駅から新幹線に乗りました。岩波文庫版の『法華経』をかばんから出して開き、 ビールを飲んでいたのでは宗教心も何もあったものではありませんが、時間的にも空間的にも数量的にも賑やかな物語世界は、 それにしても壮観です。バッハの宗教音楽が、まったく信仰心のない者に対しても美の境地を開示してくれるのと、 似たものと考えてよいのでしょうか?
帰省客でごった返す東京駅で乗り換え、新花巻駅に着いたのは、23時18分でした。
さすがに京都よりは格段に涼しい夜風が吹いています。タクシーの運転手さんによれば、昨日あたりからぐっと涼しくなったのだそうです。
こんどの花巻では、イーハトーブの「古層」とでも言ったようなものに触れられないだろうか、などと思っています。このごろ私は、
彼が晩年の手帳に書きつけた32の「経埋ムベキ山」をあれこれと地図で眺めたりしていたのですが、「なぜ賢治がこの山を選んだのだろうか」
ということを考えていると、一般的な意味で「名山」であることとか、賢治の個人的な愛着とか、そういうことももちろん入っているでしょうが、
それ以外にまた別の重要な因子があるような気がしてくるのです。
それはたとえば、「個々の山が帯びている土着の宗教的オーラ」とでも言ったらいいのでしょうか、
何か賢治の時代よりも古くからその地に座している、地霊のようなものの有無に関する要素です。小さな山で、
賢治の作品には一度も登場しない山でも、なぜだか選ばれている一群の山々に、上記のような雰囲気があるように思っていました。
もちろん彼は死ぬまで、法華経と日蓮を排他的なほどに信仰していましたが、晩年の手帳には、「庚申碑」とか「剣舞供養」とか
「出羽三山の碑」とかをしきりに書きつけたりして、やはり何か土俗的な信仰というものに対しても、
思い入れを強くしていたように感じられるのです。
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