「雨ニモマケズ」の11月3日

 先月、九州へ行った時に写してきた「雨ニモマケズ」木碑をアップしました。 賢治が病床で、この詩のようなものを手帳にメモしたのは、たまたま71年前の今日でした。

 ところで、戦前から宮澤賢治を世に広く紹介する役割を果たした谷川徹三という哲学者がいますが、彼が「雨ニモマケズ」 を論じた文章の中に、次のような一節があります(『宮沢賢治の世界』より)。
 「…十一月三日に書かれたというのも私には偶然と思えない。十一月三日という日は私共――宮沢賢治と私とは一つちがいで、所こそちがえ、 共に明治時代に小学校と中学校の大半を過したものですが、そういう明治の私共には、忘れることのできない天長節の日であります。 この懐しいかつての天長節の日に、賢治がこの詩を書いたということに、私は大きな意味を認めたいのであります。(中略)
…斯くも純粋な表現にまで押出したその心の昂揚に、この十一月三日という日にからまる感情が作用していることを私は感じます。…」

 「雨ニモマケズ」のことを、「明治以来の日本人の作った凡ゆる詩の中で、最高の詩」と讃えた人が、 実はこのような思いも込めて作品を読んでいたというのは、私としては「へえー」と感心するしかありません。
 ただ、戦後になってこの文章を収めた本が再刊された際には、谷川氏は上記の箇所に、「今はもうこうは思っていないが、 当時はそう思っていたのでそのままにして置く。」と、わざわざ注釈を付けています。 何も政治体制が変わったからといって文学の鑑賞態度まで変えなくても、自分が好きな読み方なら、 どうぞ勝手につづけたらいいのになと思いますが、ほんとうのところはどうなのでしょうか。
 わが身をふりかえって、はたして今の自分の賢治の読み方・感じ方はどうなんだろうかとも思ってしまいます。