岩手紀行(4)

 今朝午前5時11分に青森県東方沖を震源とする地震があり、一戸町では震度3の揺れがありました。ちょうど起きていたので、 かなりびっくりしました。この地震のために東北本線 上り列車に遅れが出て、 私たちは奥中山の駅で1時間あまり待つことになってしまいました。まあ、どこにも被害はなかったようで、なによりですが。

 予定より遅れて盛岡に出ると、レンタサイクルを借りて、今日は盛岡市の南の郊外へ行きます。天気もよくなって、 自転車で走ると陽射しが肌を刺します。
 雫石川を渡って、まぶしいほど明るい田畑のなかを進んでいくと、賢治が愛した岩頸列の山々が南に並んでいました。(南昌山、赤林山、 箱ヶ森、稲荷山、…)

 まず箱ヶ森をめざし、その登山口に建てられた歌碑を見て、次はさらに南に向かって、「都南つどいの森」 という丘の上にある歌碑を見ました。 「…盛岡をめぐる山々…」という一節にふさわしく、盛岡市街を一望できる場所にあります。この碑は、 めずらしく賢治の妹とし子さんの筆跡をもとに文字を刻んであって、繊細な感じでした。
 今日の石碑の予定はこれだけだったので、太陽を背にペダルをこいで盛岡の市街に帰り、北山地区の清養院、報恩寺、徳玄寺、教浄寺など、 賢治が下宿していたお寺をめぐってみました。お盆なので、花を持った家族連れの人たちが、一組また一組と訪れています。 街の喧騒も不思議に遠く、線香の香りがします。夕方、岩手公園に自転車を止めてすこし休みました。

 今日は昼ごはんも食べずに一日中走りまわったので、夜は稲荷町の「ぴょんぴょん舎」で、焼肉と冷麺を食べました。私は、 麺類の中では讃岐のうどんと京都のラーメンを好む者ですが、いくつか食べた「盛岡冷麺」の中では、ここのがよかったです。 今でこそ盛岡というとこれが名物の一つのようですが、賢治の時代にはなかったんですね。