岩手紀行(5)

 ホテルの高層の窓から眺めていると、盛岡の街が「七三 有明」のようにしらじらと明けました。 今日は、これまでずっと見たいと思いつつも機会がなくて見られなかったあこがれの詩碑を、二つ見に行く予定です。

 まず盛岡から花巻に出て、駅前から「河原の坊」行きのバスに乗りました。河原の坊とは、 北上山地の最高峰である早池峰山の南の登山口で、 夏の間だけ花巻から一日二往復のバスの便が通います。 バス停には本格的な登山装備をした人たちが、並んで待っていましたが、軽装の私たちもいっしょに乗り込みます。 稗貫川に沿って1時間半ほどバスに揺られ、笛貫の滝も過ぎて、河原の坊に着きました。 このあたりは童話「どんぐりと山猫」 の舞台とも言われています。

 さて、せっかく登山口まで来ましたが、ご覧のように早池峰山の頂上は、あいにく雲に隠れて見えません。しかし川原に降りると、 やっぱり岩がごろごろしていました。「三七四 河原坊(山脚の黎明)」で、 賢治はこの辺の平らな岩の上に寝て、不思議な入眠時幻覚を見ます。さすがに今となっては、どれが賢治が寝た岩かはわかりませんでしたが、 少し登ったところにある「三七五 山の晨明に関する童話風の構想」 の詩碑は、期待どおり にすばらしかったです。素朴ですが真摯さにあふれ、原 子朗 氏が『新宮澤賢治語彙辞典』において、 「数ある賢治詩碑中の白眉」と呼んでおられるだけのことはありました。

 それからまた山道をバスで新花巻駅に戻り、昼食は「山猫軒」の新花巻駅前店で、「山猫定食」をとりました。そしてこんどは釜石線で、山あいの鱒沢まで入ります。 そしてさらに鱒沢からはタクシーに乗って、江刺との境にある五輪峠へ行くのです。
 猿ヶ石川を離れて山間へ向かい、地元の運転手さんもめったに来たことがないと言う道をうねうねとめぐると、30分ほどでついに 「…そここそ峠いただきだ…」 というところまでたどり着きました。そしてその道路わきには、「苔に蒸された花崗岩の古い五輪の塔」と、五輪峠の詩碑が、 ひっそりと立っていたのです。

 こうして念願の五輪の塔に、やっと対面ができました。側碑によると、この塔は文化十二年建立ということですから、 もちろん宮澤賢治がその昔に対面して作品に描いたのと、同一のものです。去年の春のイーハトーブ館春季セミナーで聞いた 「五輪峠」の朗読の感動も、よみがえりました。

 木々の間から遠く北上平野に江刺の市街を見おろしたあと、峠を下りました。鱒沢の駅からはまた釜石線で、 夕日に向かって花巻へ帰りました。今晩がこの旅の最終宿泊で、花巻温泉です。