萩原昌好『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』

『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』 先月末に出た、『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』(萩原昌好著)という本を読みました。「オホーツク挽歌 詩群」(『春と修羅』)における賢治の足跡の考察が中心となっていますが、著者はこれまでに三度、この目的のためにサハリン踏査をおこなったとのことで、うらやましいかぎりです。
 私が小学生の頃に買ってもらった地図帳では、宗谷岬の北に、大きな鎌のような形をした亜庭湾が口をあけており、サハリンという地には不思議な憧れをかきたてられたものでした。

 「オホーツク挽歌」の旅に関しては、たとえば花巻から青森に至る列車の時刻にも諸説があって紛々としていたのですが、著者は、ますむらひろし 氏や 入沢 康夫 氏の考証に沿って、これまでの「旧校本全集」や堀尾青史著「年譜」の記述に異議を唱えます。これは説得力があり妥当と思われるもので、おそらくこれから出るであろう「【新】校本全集」の年譜などは、この三者の説を踏襲したものになるのではないでしょうか。
 この説によれば、花巻を午後9時59分発の東北本線下り夜行列車で発った賢治は、午後11時ジャストに盛岡駅を通過します。このことが、「銀河鉄道の夜」のなかの、「もうじき白鳥の停車場だねえ」「あゝ、十一時かっきりには着くんだよ」という部分に対応するのではないか、という指摘が印象的でした。この日の午後11時には、白鳥座がちょうど盛岡の天頂にかかっていたという事実もあるようです。

 すなわち、銀河鉄道の「白鳥の停車場」が、地上では「盛岡駅」に当たるというわけです。そう言えば、賢治は「有明」(「春と修羅 第二集」)という作品において、盛岡の街を、「やさしい化性の鳥」に喩えていたのを思い出しました。