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鈴木憲夫 混声合唱曲「雨ニモマケズ」

1.歌曲について

 鈴木憲夫氏(1953-)は、東北学院大学法律学科を卒業してから東京音楽大学作曲科研究科に進んだという、少し変わった経歴をたどられた作曲家です。
 その仙台における学生時代の終わりに、「永訣の朝」に作曲した混声合唱曲(1975)を世に出したことから始まって、1996年8月27日のちょうど賢治生誕100年の誕生日には、ここで取り上げた混声合唱曲「雨ニモマケズ」を作曲されました。さらに2000年には、無伴奏混声合唱組曲「高原・イーハトーブ」も発表されるなど、とりわけ賢治の世界に造詣の深い、現代の作曲家の一人と言ってよいでしょう。

 この混声合唱曲「雨ニモマケズ」に関して、鈴木憲夫氏は、次のように書いておられます。

 作曲したい詩があってもなかなか出来ないものがあります。私にとってはそれがこの「雨ニモマケズ」でした。この詩に作曲しようと思い立ったのはもう20年以上も前のことになります。これまで幾度この詩を取り出してはただ黙念として眺めたことか。それの繰り返しが20年も続いたわけです。何とも悠長なことです。11月3日の日付けで手帳に書かれたこの「雨ニモ~」は<詩>というより、賢治の生き方そのものが綴られています。そして自筆の最後にはお経が書かれてあります。仏教の世界を通して自らの生活を自戒しつつ、激しくも、しかし大らかに生きた宮澤賢治。私はこの詩の最後にお経が入らなければ完結しないといつしか思うようになりました。そしてこの詩と永いこと私なりの付き合いをしていくうちに、賢治の生き方そのものこそを音楽で表したいと思うようになりました。

 このような20年あまりの熟成期間を経た上で、作品が完成したのが、1996年8月27日という「賢治100回目の誕生日」であったという偶然には、作曲者と賢治との間の不思議な「縁」のようなものも感じます。

 さて、この合唱曲「雨ニモマケズ」の独自の特徴の一つは、上の引用にもあるように、一般に「〔雨ニモマケズ〕」として親しまれている賢治のテキストだけでなく、手帳においてその後に書き付けられている「お経」(=略式十界曼荼羅)も組み込まれ、作品の重要な構成要素となっていることです。
 具体的には、曲の始めと終わりの両端で、この略式十界曼荼羅に現れる如来・菩薩の名前が唱えられて、あたかも「雨ニモマケズ」の世界の「額縁」を成すような構造となっているのです。また、曲の中ほどで大きな盛り上がりを形成する、「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ」の部分では、バスの声部で「南無妙法蓮華経」の唱題が繰り返されます。
 このような構成に込められた作曲者の意図は、賢治の生涯が、法華経を中心とした世界観に貫かれたものだったということを、表現しようとするものでしょう。

 それからまた、この「雨ニモマケズ」合唱曲のもう一つの特徴は、冒頭が「賢治…賢治…」という呼びかけで始まり、そこに風の擬音も加わってくるところです。「賢治…」という呼びかけと風の音との重ね合わせは、「疾中」の中の作品「〔風がおもてで呼んでゐる〕」を、まさに連想させます。
 「人間界」よりも「自然界」の方に、より親和性を感じることもあったであろう賢治は、自らの死を意識した時、その親和性のあまり自分が「人間界」から「自然界」へと誘拐されてしまうような恐怖を、感じたのかもしれません。これこそが、「愛」と「畏れ」を同時に含んだ、「賢治」と「自然」との秘められた関係であり、「〔風がおもてで呼んでゐる〕」に表現された感覚なのだろうと思います。
 この合唱曲の冒頭で、風の音が賢治にとっては自分の名前を呼ぶ「声」と聴こえてしまうという作曲上の設定は、賢治この時すでに死を意識する病床にあることを示唆しているのでしょう。
 そして、「雨ニモマケズ」の言葉が語り始められるのも、まさに賢治がこのように死を意識した時のことでした。

 鈴木憲夫氏は、この「雨ニモマケズ」合唱曲が作品の形を成していく経緯として、

 作曲のはじめのプランではこの詩を軸に他の短い詩なども入れ、「賢治幻想」という構成で進めていこうとしました。しかし結局は余分なものは徐々に省かれ、次第にシンプルになり、生半可な技術や小手先では手に負えないことが身に沁みてきました。

と書いておられます。最初の引用にあった、「賢治の生き方そのものこそを音楽で表したい」という作曲者の思いが、いったんは「賢治幻想」という形式をとらせようとしたと考えられます。
 最終的に、曲のほとんどは「〔雨ニモマケズ〕」のテキスト(と略式十界曼荼羅)だけにもとづいたものになりましたが、それでも、曲の冒頭に出てくる「賢治…賢治…」という呼びかけや風の音は、当初の「賢治幻想」の構想の名残りをわずかに残しているものなのだろうと、私には感じられます。

 あともう一つ、細かなことではありますが、この作品が「賢治の生き方そのものを音楽で表」そうとしたものであったことを、私が感じる箇所があります。それは、曲の最後、「南無妙法蓮華経」の繰り返しが短調の響きとともに消えた後、ソプラノに「高みを目ざそうとする」かのような音型が現れ、続いてその一部が(細い声ながら) p から f まで最大限のクレッシェンド(allargando molto)をして、その声が突然消えるとともに、静かな長調の響きで曲が閉じられるところです(下楽譜参照)。
 賢治の生涯も、最晩年はほとんど外出もできず、静かに、法華経への信仰とともに寂しく閉じられたようにも見えます(曲では唱題の響きが短調で消えていくところ)。しかしこの時一方では、賢治の心は高く飛翔し、はるか彼方の希望を見据えようともしていました。ソプラノによる細く鋭いクレッシェンドは、まるで蝋燭の炎が消える直前の最後の輝きを表現しているようでもあり、また私には、童話「よだかの星」における、よだかの最期の決死の飛行のようにも思えます。
 そして、この鋭い声が消えて、最後にト長調の和音が静かにやさしく響く時、私は、「病のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」という絶筆短歌に賢治がこめたであろう思いを連想します。あるいは「よだかの星」で言えば、「たゞこゝろもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました」というところに描かれている、静かな自己肯定も感じるのです。
 つまり、短い終結部にも、作曲者が賢治の生涯の何かを、凝縮して表現しているように、私には感じられます。

2.演奏

 今回パソコンで作成した合唱は、ソプラノが初音ミク、アルトが巡音ルカ、テノールとバスが Kaito という編成になっています。初めの方に出てくる「風の音」は、作曲者の指示では、テノールとバスが「phyu― phyu―」という擬音で出すことになっているのですが、現在の VOCALOID の機能ではこのような発声はできないようなので、シンセサイザーによる風の音で代用しました。

 人工音声の限界はありますが、鈴木憲夫氏の曲の響きの美しさを感じていただければ、幸いです。

3.歌詞

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

  南無無辺行菩薩
  南無上行菩薩
  南無多宝如来
南無妙法蓮華経
  南無釈迦牟尼佛
  南無浄行菩薩
   南無安立行菩薩

鈴木憲夫「雨ニモマケズ」最終頁
鈴木憲夫作曲混声合唱曲「雨ニモマケズ」最終頁