飢餓陣営のたそがれの中

1.歌曲について

 コミックオペレット「飢餓陣営」は、「植物医師」「ポランの広場」「種山ヶ原の夜」とともに、農学校教師時代の賢治が脚本を書き、自ら演出して、生徒たちと演じた劇の一つでした。「コミックオペレット」という副題のとおり、これは短い滑稽な歌芝居です。
 そのあらすじは以下のようなものです。

 とある原野に、見るからに疲れた軍団が野営しています。大将は何かの任務で隊を離れているようで、残された兵士は、空腹に苦しみながらも忠実に大将の帰りを待ちつづけています。彼らがほとんど飢え死にも覚悟しかけた頃、やっと軍団のもとに「バナナ大将」が帰ってきますが、なんと大将は宴会か何かに出ていたのか、食べすぎて酔っぱらって戻ってきたのでした。
 兵士たちは、このような大将にもやはり敬意を持って遇しますが、大将のエポレット(肩章)が実はバナナでできていて、勲章は飾り菓子であるのを見て、どうしても食欲が抑えきれなくなります。結局、彼らは軍法会議で死刑になることも辞せず、勲章を拝見するふりをして、それらをすべて食べてしまうのです。バナナン大将(平来作)
 我に返った兵士たちは、犯した罪の恐ろしさを自覚し、それぞれ勇敢に責めを負おうとして、最終的には特務曹長が、皆の罪をかぶって自殺を決行しようとします。
 しかしまさにその時、バナナ大将は兵士たちの誠心を理解し、皆を許すとともに、「果樹整枝法」を模した「生産体操」なるものを発明し、兵士たちに伝授するのです。
 兵士たちは感激し、「バナナ大将の行進歌」を歌いつつ、また「生産体操」の演技を披露しながら、行進して去っていくのでした。
 ちなみに右の写真は、初演時に「バナナ大将」を演じた平来作(大正14年卒)が、後年演劇指導のために、当時を再現して「バナナ大将」に扮したところです。

 賢治は、多くの作品においては戦争や軍隊を素朴に肯定しているところがあるのですが、そのような全体的傾向からすると珍しく、この劇は「軍隊」というものを痛烈に揶揄していますし、最後のところなど、結局は「戦争」などよりも「生産」にこそ価値があるのだということを、高らかに宣言しているように思えます。
 賢治にしては、「反戦的」な作品だとも言えますが、まあ劇としての眼目は、偉そうな大将の立派な服が、バナナやお菓子でできているところ、そして真面目くさった兵士が思わずそれを食べてしまうところの面白さでしょう。

 ここで取り上げた「飢餓陣営のたそがれの中」という歌は、勲章を食べてしまった兵士の代表としての特務曹長と曹長が、「犯した罪」の重大さに打ち震えながら、贖罪を願って歌うものです。
 全集の楽譜には「祈るように」と記してあり、歌そのものはまったく厳粛で宗教的雰囲気に満ちているのですが、聴衆はその「罪」の可笑しさを知った上で、真面目さと滑稽さの対照を楽しむという趣向です。メロディーの原曲はまだ不明ですが、讃美歌ではないかという説もあるようです。

2.演奏

 さて今回の編曲は、いちおう簡単なオーケストラ伴奏の形をとっていますが、主要部分は、ファゴット、ホルン、トロンボーンや低弦などという低音楽器ばかりが、重苦しく刻むリズムに乗って進みます。
 間奏部は、やはりこの劇における別の挿入歌である「一時半なのにどうしたのだらう」「糧食はなし四月の寒さ」に出てくるメロディーを、木管が少し寂しく奏でます。
 2番までの歌が終わると、祈りの〔合唱〕として、少し天上の雰囲気も漂わせながら、混声四部合唱が最後の2行をリフレインします。
 これが讃美歌ならば、合唱の後は「アーメン」で終わるところですが、仏教徒賢治のことを思うと、そうするわけにもいきません。ここではかわりに、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』の終曲「アニュス・デイ」から、「我らに平和を与え給え(dona nobis pacem)」という部分の旋律で、曲を閉じることにしてみました。ホルンとオルガンで、ゆっくりと奏されます。

 賢治とベートーヴェンの、平和への祈りをお聴きいただければ幸いです。

3.歌詞

飢餓陣営のたそがれの中
犯せる罪はいとも深し
あゝ夜のそらの青き火もて
われらがつみをきよめたまへ

マルトン原のかなしみのなか
ひかりはつちにうづもれぬ
あゝみめぐみのあめをくだし
われらがつみをゆるしたまへ

〔合唱〕 あゝみめぐみのあめをくだし
     われらがつみをゆるしたまへ

4.楽譜

(楽譜は『新校本宮澤賢治全集』第6巻本文篇p.344より)