つめくさの花の咲く晩に(新校本全集版)

1.歌曲について

  「つめくさのあかり」は、宮澤賢治の童話に出てくるさまざまな小道具のなかでも、とりわけ魅力的なイメージのひとつです。
 イーハトーブの野原に夜のとばりがおりると、つめくさの花にはそれぞれ小さなあかりがともり、そのあかりについている番号を順番にたどっていけば、伝説の「ポラーノの広場」に行き着けるというのです。
 この標識が、ほかならぬ「つめくさ」にともるのは、それがちょうど「小さなぼんぼりのやうな花」(「洞熊学校を卒業した三人」より)をつけるためでもあるでしょうが、それだけではなく、そこにはこの植物に対してこめられた賢治の独特の思いもあるのではないかと、私は思っています。

 「しろつめくさ」あるいは「クローバー」として親しまれ、現在は日本のどこでも見られるこの草ですが、もともとは明治以降にヨーロッパから牧草としてもたらされた帰化植物でした。これはまず北海道などの開拓地に導入されましたが、宮澤賢治の時代には、まだ今よりもずっとハイカラな雰囲気を感じさせる植物だったのだと思います。
 賢治が農学校教師時代に、修学旅行の引率として北海道を旅した時に書いた報告書には、次のような一節がありました。
 「北海道石灰会社石灰岩抹を販るあり。これ酸性土壌地改良唯一の物なり。米国之を用うる既に年あり。内地未だ之を製せず。早く北上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に自らなるクローバーとチモシイとの波を作り耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん。」
 すなわち、豊かな牧草地にクローバーが波うつイメージは、賢治にとっては宿願である農業改革の象徴のような風景として、彼の心のなかにあったのではないでしょうか。一種のユートピア物語である「ポラーノの広場」には、ぜひとも象徴的にこの植物を登場させる意味があったのだろうと思うのです。

 さて、ここで取り上げる「つめくさの花の咲く晩に」は、童話「ポラーノの広場」のなかで、山猫博士やファゼーロやミーロが、替え歌にして順番に唄う歌です。
 まず登場した山猫博士が楽隊に、「In the good summer time をやれ」と言って唄いはじめるように、この原曲は、当時のアメリカの流行歌である「In the good old summer time」という曲でした。
 上記の修学旅行報告文からもわかるように、賢治にとってはクローバーの野原という場所には、新世界アメリカの歌が似つかわしかったのでしょう。
 原曲は、たとえばこちらのページから聴くことができます。歌詞には甘い郷愁がただよっていますが、そのなかに「When your day's work is over, then you are in clover, and life is one beautiful rhyme ...」という一節があります。「be in clover」というイディオムは、「(牛がつめくさの草原にいるように)満ち足りて豊かに過ごす」という意味らしいですが、ここにもクローバーが出てくるのが、偶然とはいえおもしろいです。

 以前に「校本全集」や「ちくま文庫版全集」に収録されていたこの曲は、3拍子から途中で2拍子になったり、何度も拍節が変わる独特のものでした。その楽譜の初出は1934年の「文圃堂版全集」で、「宮澤賢治曲」とされています。おそらく身近な誰かが、賢治が歌っていた節の記憶をもとに、採譜したのでしょう。
 原曲「In the good old summer time」が明らかになるのは「校本全集」以降のことです。そして「【新】校本全集」において編集者の佐藤泰平氏は、これが原曲の「替え歌」であるとの観点から、新たに原曲のメロディーに賢治の歌詞を載せなおしました。そこで、下の楽譜のような新たな「歌」が生まれたわけです。これによって、「校本全集」以前のものよりメロディーとしては自然になりましたが、昔の「つめ草の花の咲く晩に」に親しんでいた方にとっては、ちょっと寂しいものがあるかもしれません。

2.演奏

 ところで、『新校本全集』においてちょっと疑問に感じるのは、「〔つめくさの花の 咲く晩に〕」と「〔つめくさのはなの 終わる夜は〕」という、楽譜は全く同じで歌詞だけが異なる「2曲の歌曲」が掲載されているところです。前者は物語の初めの方で山猫博士とファゼーロが唄い、後者は終わりの方でファゼーロとミーロが唄うという風に、登場する場所が異なるため、2曲に分けているのかもしれませんが、しかしメロディーが同じで歌詞だけが違うのですから、これは別の曲として扱うよりも一つの曲として、前者が一番、二番、後者が三番、四番、と考える方が自然だと、私としては思います。
 それで、下の演奏でも一続きに唄う形をとっており、歌詞も全体を順に並べています。

 下記演奏の、歌は‘VOCALOID’のMeiko、伴奏はカントリー調の‘In the good old summer time’です。

3.歌詞

(山猫博士が唄う)
つめくさの花の 咲く晩に
ポランの広場の 夏まつり
ポランの広場の 夏のまつり
酒を呑まずに  水を呑む
そんなやつらが でかけて来ると
ポランの広場も 朝になる
ポランの広場も 白ぱっくれる。

(ファゼーロが唄う)
つめくさの花の かほる夜は
ポランの広場の 夏まつり
ポランの広場の 夏のまつり
酒くせのわるい 山猫が
黄いろのシャツで出かけてくると
ポランの広場に 雨がふる
ポランの広場に 雨が落ちる。

(ファゼーロが唄う)
つめくさのはなの 終る夜は
ポランの広場の 秋まつり
ポランの広場の 秋のまつり
水をのまずに酒を呑む
そんなやつらが威張ってゐると
ポランの広場の 夜が明けぬ
ポランの広場も 朝にならぬ。

(ミーロが唄う)
つめくさのはなの しぼむ夜は
ポランの広場の 秋まつり
ポランの広場の 秋のまつり
酒くせの悪い山猫は
黄いろのシャツで遠くへ遁げて
ポランの広場は 朝になる
ポランの広場は 夜が明ける。

4.楽譜

(楽譜は『新校本宮澤賢治全集』第6巻本文篇p.351より)