西南之役民衆殉難者惻隠之塔

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1.テキスト

世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない    宮澤賢治

2.出典

「農民芸術概論綱要」より

3.建立/除幕日

2022年9月24日建立/2023年3月19日除幕

4.所在地

鹿児島市上竜尾町2-1 南洲公園

5.碑について

 近代日本における最大で最後の内戦である西南戦争は、1877年(明治10年)2月に始まり、9月に西郷隆盛の自刃によって終わりました。
 同じ鹿児島出身の盟友で、ともに明治維新の立役者だった西郷隆盛と大久保利通は、片や「賊軍」の首領となり、片やそれを征討する政府の最高責任者となって、立場は敵味方に分かれてしまいましたが、分断されたのは二人に連なる鹿児島県民の人々も、同様だったと思います。肉親や幼なじみも含めた同郷の人々が、互いにそれぞれの生死を賭けて戦い、一方が勝者となって他方の敗者を断罪するという結果になったために、人々の心の奥には様々なわだかまりが残されてしまったことでしょう。

 このような歴史を乗り越えるという趣旨で、西南戦争から140年を迎えた2017年9月、薩摩軍戦死者の墓地のある南洲公園の一角に、「西南之役官軍薩軍恩讐を越えて」と銘打たれた両軍戦死者の慰霊塔が、建立されました。下写真の中央の塔がそれです。
 戦後140年も経ってから、あえて「恩讐を越えて」という言葉が用いられているところに、鹿児島におけるこの戦争の根の深さが表れているようにも感じられます。

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 そして、その5年後の西南戦争145年にあたる2022年9月には、上写真右側の「西南之役民衆殉難者惻隠之塔」が建立され、2023年3月に除幕式が行われました。死者を悼み、平和を願う気持ちを、敵と味方の間の壁を越えて、さらに兵士と一般民衆の間の壁も越えて、普遍的に共有しようという活動の表れなのでしょう。

 その塔に刻む碑文として、賢治の「農民芸術概論綱要」から、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」が選ばれています。敵と味方や、兵士と民衆というような、人間の間に引かれた境界線を超越して、「世界ぜんたい」のことを視野に入れるとなると、宮澤賢治が秘めていた構想や視野の壮大さが、我々に力を与えてくれるように思われます。

 慰霊塔の横にある「西南之役民衆殉難者惻隠之塔建立の由来」という側碑には、次のように刻まれています。

西南之役民衆殉難者惻隠之塔建立の由来
  怨親平等の心を今に

 いつの世においても、戦いは当事者は勿論のこと民衆の犠牲者が存在することを忘れてはなりません。田や畑は荒らされ、家は焼かれ、逃げまどう戦場において流れ弾にあたるなど、無辜の犠牲者も戦場の悲惨な現実として、私たちは語り継ぐ責務を感じなければならないと思います。
 この戦いがなければ、平穏な人生を送られた人々であったろうと思うとき、なおさらに、その無念のほどを察しないわけにはまいりません。
 ここに、西南之役145周年にあたり、西南之役民衆殉難者惻隠之塔を建立し、その殉難者の冥福を永久に祈り、国の安寧と世界の平和を希求し、もって、怨親平等の精神を後世に伝えるものである。

    令和4年9月24日(西南之役145年)

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 ところで西郷隆盛と宮澤賢治を並べると、片や南国出身で豪胆な軍略家の西郷に対して、賢治は北国出身の繊細な感受性の人ですから、性格的には全く対照的な人のように感じられます。しかし、その心性には意外な共通性もあるようなのです。
 磯田道史氏の『素顔の西郷隆盛』には、次のような一節があります。

 もともと西郷は、目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまうようなところがあります。たとえば犬と一緒にいて、犬がウナギを食べたいそぶりを見せると、自分も大好物なのにあげてしまう。西南戦争での私学校や桐野利秋らの蹶起に対しても、最初はやる気がないのに、じっと考えているうちに、このままでは桐野たちが死んでしまうと思い、自分も憑依してしまうのです。
 自他の区別がない、他人との境目がないばかりか、犬と自分の区別さえもないところがありました。だから、一緒にいるとやがて餅みたいに共感で膨れ上がり、一体化してしまう。自分と他者を峻別するのが西洋人とするなら、それとは違う日本的な申請を突き詰めたのが西郷であり、だからこそ時代を超えた人気があるのだとおもいます。(新潮新書『素顔の西郷隆盛』p.87)

 「目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまう」というのは、まさに賢治もそういうところがあった人で、たとえば短歌の「黒板は赤き傷受け雲垂れてうすくらき日をすすり泣くなり」では、自らが黒板に憑依してしまっています。賢治は子供の頃から、人の痛みを自分の痛みのように敏感に感じてしまい、手を差し伸べずにいられなかったという逸話がいろいろとありますし、作品の中でもその人生においても、自己犠牲的な傾向が目立ちます。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉も、自分個人と世界との間の「境目がない」ところから来る、やむにやまれぬ実感に基づくものだろうと思われ、その意味ではこの言葉を、よく似た気質があった西郷の西南戦争の鎮魂のために掲げるというのも、案外ふさわしいことなのかもしれません。

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