宮沢賢治石像
1.テキスト
なし
2.出典
(1926年春頃、農学校実習田で撮影された写真がモチーフ)
3.建立/除幕日
2002年(平成14年)5月 除幕
4.所在地
盛岡市上田3丁目18-8 岩手大学農学部附属農業教育資料館前
像について
賢治が学んだ盛岡高等農林学校の校舎は、「岩手大学農学部附属農業教育資料館」として、現在も当時のままに保存されていますが、その建物の前に、この像が立っています。
これは2002年5月に除幕されたもので、宮澤家から正式に肖像権を得た賢治像としては、全国でも初めてとのことです。一見するとコンクリートかと思いますが、実は8トンもある安山岩の塊から、ほとんど手鑿だけで3トンまで彫り出されたものだそうです。
しかし、それにしても不思議な形をしています。
その形のもとになっているのは、賢治がオーバーの襟を立ててうつむいて立つ、あの有名な写真の姿ですが、石像はそれを横に平行移動したような軌跡を伴っています。
この像を制作した岩手大学教育学部教授の彫刻家・藁谷収氏によると、「横に広がる石は賢治の精神が未来へとつながっていくイメージを表現した。賢治の志を岩手に生きるわれわれが受け継いでいくという夢を託した。」ということです。
つまり、空間的な横方向の移動によって、時間的な移動を表そうとした、というわけです。
これは言いかえれば、四次元時空における軌跡を、三次元空間に射影したということですが、じつは賢治もその作品において、時間というものをしばしばこのように空間に射影して知覚し表現しているのを目にします。
「二七 鳥の遷移」(『春と修羅 第二集』)の、「鳥は遷り さっきの声は時間の軸で/青い鏃のグラフをつくる」というところや、「三三六 春谷暁臥」(『春と修羅 第二集』)の、「鳥とは青い紐である」という表現などは、結局そういう視点から見えてくるものだと思います。
その意味でこの石像は、賢治的な独特の世界観を、具象化してくれているのかもしれません。
しかし、それは彼が青春時代を送った建物が時をこえて微動だにせずに建っているその目の前にあるだけに、なおさら見る者に不思議な印象を与えます。
旧盛岡高等農林学校本館と石像