「五輪峠」詩碑

1.テキスト

[五輪牧野記念碑]

五輪峠と名づけしは  地輪水輪また火風
(巖のむらと雪の松)  峠五つの故ならず

ひかりうづまく黒の雲 ほそぼそめぐる風のみち
苔蒸す塔のかなたにて 大野青々みぞれしぬ

                       宮澤賢治

2.出典

五輪峠(定稿)」(『文語詩稿 五十篇』)

3.建立/除幕日

1980年(昭和55年)8月 建立/11月5日 除幕

4.所在地

岩手県遠野市小友町7地割 五輪峠

5.碑について

 昔はこの峠は、水沢・江刺方面と遠野方面とを結ぶ交通の要衝だったようで、江戸時代は南部藩と伊達藩の国境でしたから、関所も置かれていました。また「義経北行伝説」においても、平泉を脱出した義経は江刺からこの五輪峠を越えて、さらに遠野から三陸へ抜けたとされています。
 しかし、鉄道や国道が別のルートに開通してからは、五輪峠を通る人もめっきり少なくなり、地元のタクシーの運転手さんも、ほとんどこの道は来たことがないと言っていました。

 賢治にとっては、ここはお気に入りの種山ヶ原から、花巻方面に向かう道筋にあたるので、生涯のうちに何度も歩いて越えることがあったようです。このなかで、1924年の春に水沢緯度観測所に行くために峠を越えた時のスケッチが、「一六 五輪峠」(『春と修羅 第二集』)になり、これが晩年に文語詩に改作されて、碑文の作品となりました。(この時の紀行については、「五輪峠詩群」をご参照ください。

 「五輪」とは、地輪・水輪・火輪・風輪・空輪の総称で、地水火風空という五つの要素(五大)が世界を構成しているという、仏教的な元素論に由来します。そして、地輪を表す方形、水輪を表す円形、火輪を表す三角形、風輪を表す半円形、空輪を表す宝珠形、という五つの形を下から積み上げたものが、「五輪の塔」です。
 賢治は当初、「五輪峠」という名前の由来は、ここに「地輪峠」「水輪峠」「火輪峠」…と五つの峠があるためだと勘違いしていたとのことですが、峠の頂に古い五輪の塔(右写真)が建っているのを見て、これが峠の名前の元だったと悟ります。

 私が訪ねた時も、この塔はやはりひっそりと木陰に建っていました。左にある側碑には、「文化十二年亥卯月」と彫ってあり、これは西暦1815年にあたります。人知れぬ山奥に、こんな古い遺物が静かにあるというのは、なにか神秘的な感じさえしました。
 私自身、賢治も対面したこの塔を直接に見ることができて、何とも言えない感激でした。

 五輪塔は人間の身体を象徴するということで、人が亡くなった時に墓碑として、あるいは追善供養のために建てられます。この側碑には、「仙塚看永信士」という戒名が刻んでありました。
 ちなみに、花巻の身照寺にある賢治の供養塔も、五輪塔の形をしています。


五輪峠から眺める江刺・水沢方面