岩手県造園組合花巻分会結成二十五周年記念碑
1.テキスト
マコトノ草ノ
種マケリ
精神歌より
平成十二年六月吉日
花巻市長 渡辺 勉 書
2.出典
「花巻農学校精神歌」より
3.建立/除幕日
2000年(平成12年)6月 建立
4.所在地
花巻市桜町4丁目 弥助橋わき
5.碑について
「同心屋敷」の前を通って、「羅須地人協会跡」の賢治詩碑へ向かう途中の道ばたの、わかりやすい所に建っている碑です。
碑面には、「精神歌」の一番の歌詞から、「マコトノ草ノ種マケリ」の一節が刻まれ、左側の側碑には、「花巻地方造園業発祥の地に建立す」と記されています。
「花巻地方造園業発祥の地」とは、その昔この地で宮澤賢治が独居生活をしながら、さまざまな花卉や樹木を栽培したことを指しているのでしょう。
その賢治の「造園」の様子について、農学校時代の教え子の一人は、羅須地人協会に賢治を訪ねた時のことを次のように書き残しています。
…特徴の著るしい先生のペンになる地図をたよりに国道を折れ更に小芝の生々しい路に出ると、もう先生の理想郷が直感された。路にそうて短い落葉松がまばらに植付けられ、それもきれた向ふの端には銀どろが精よくのびて、風もないのに白い葉うらが輝いてゐた。更に西向に突出た玄関へと連る道の北側には空地に型どつた三角形の花壇があり、ひなげしであったか赤と黄が咲き乱れてゐた。玄関の横には大きな黒板が掲げられ、内は森として静まり返つてゐた。…蔓ばらは数本植付けられて壁に誘引せられ、庭松の下蔭にはチューリップの球根が風乾されてゐた。…
チューリップはおろか、白菜でさえ地元では珍しかったという時代に、賢治は外国から珍しい種苗をあれこれ取り寄せて、住居の周りに植え付けていました。それは一つの美しい「理想郷」の演出だったでしょうが、賢治がもっとも近づきたかった普通の農家の人からすると、奇異に見えたのも無理はないでしょう。
しかしはからずも、それが数十年後には、造園業者の組合から自分たちのルーツとして記念されることになったわけです。
このような碑ができているとはまったく知らなかったのですが、2001年賢治祭の翌朝に、たまたまカメラを持って自転車で通りかかったら見つけたので、シャッターを切りました。