「農民芸術概論綱要」碑
1.テキスト
われらに
要るものは
銀河を包む
透明な意志
巨きな力と
熱である
宮沢賢治
・・・ 農民芸術概論綱要より ・・・
2.出典
「農民芸術概論綱要」より
3.建立/除幕日
1997年(平成9年)3月15日 建立/3月23日 除幕
4.所在地
岩手県奥州市前沢養ヶ森 旧上野原小学校校庭
5.碑について
碑文は、「農民芸術概論綱要」の「結論」の冒頭にあるテーゼです。いかにも賢治らしい言葉です。
ただ、「銀河を包む透明な意志」などと言われても、これだけでは何のことかわかりません。おそらくその意味するところは、「農民芸術概論綱要」の「序論」のなかの、「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」、そして「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」、というあたりの言葉に対応しているのだろうと思われます。
このような「意識の進化」という考えは、ヘーゲルの、「主観的精神」-「客観的精神」-「絶対的精神」という「精神の弁証法的発展」の説を連想させますが、賢治がヘーゲルを下敷きにしていたのかどうかはわかりません。
ただ、賢治はこのようなことを理屈で考えていたわけではなくて、すこぶる東洋的に、感覚的にとらえていたようです。たとえば、彼が弟にあてた手紙のなかで、「もし風や光のなかに自分を忘れ世界がじぶんの庭になり、あるひは惚として銀河系全体をひとりのじぶんだと感ずるときはたのしいことではありませんか」と述べているような感覚です。仏教以前のインドの哲学で、「梵我一如」と呼ばれている直観に相当するのでしょう。
こういった独特の感覚こそ、賢治の天性のものであり、彼の詩や童話などが生まれる母胎となったのだと思います。
そしてさらに賢治は、こういうふうに彼が感じる「宇宙精神」とでもいうものが、宇宙ぜんたいの「救済」をも可能にするのだという、大乗仏教的信仰にも一体化させて、これをとらえていました。
感覚によって、「自分を忘れ」たり「たのしいこと」を享受するだけではなくて、「意志」「力」「熱」が「われらに要る」と、賢治は言うのです。
観照や「スケッチ」にとどまらず、このようにして自らの感性を宗教的信念に昇華しようとしたところが、賢治のもう一つの側面と言えるでしょう。
この石碑のある上野原小学校は、前沢駅からは西北の方角の、小高い台地にあります。北上川の段丘です。
賢治が、昔この上野原の開拓地で土壌調査をして農業指導にあたったことがあったという縁で、碑が建てられたということでした。
前沢町立上野原小学校 (2001.8.16)