「鎔岩流」詩碑
1.テキスト
鎔岩流
宮 沢 賢 治
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロックレーバ)の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロック)をふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊(ブロック)の黒いかげ
貞享四年のちいさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空氣のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬(しやく)によつて
どれくらゐの風化(ふうくわ)が行はれ
どんな植物が生えたかを
見やうとして私(わたし)の来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗應(きゃうおう)ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので
それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果(りんご)をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれがぼくのしやつだ
青いリンネルの農民シヤツだ)
2.出典
「鎔岩流(初版本)」(『春と修羅』)
3.建立/除幕日
1981年(昭和56年)4月建立/1982年(昭和57年)7月17日 除幕
4.所在地
岩手県八幡平市西根町平笠 焼走り溶岩流展望台
5.碑について
松の林のあいだから、不意に真っ黒な岩礫の広がる焼走り熔岩流の荒野に出ると、一瞬息をのんでしまいます。 あたりには、生き物の存在を許さないような、厳しい雰囲気がたちこめています。
賢治も、あらかじめ「ひどいけしき」を予想しつつ訪れたにもかかわらず、実際に目にした時にはこの光景にショックを受けたようです。「畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロックレーバ)の黒」という表現のごつごつした語感は、岩塊の重なりあう様子にぴったりです。
作品は重厚な表現がつづいた後、少し肩の力を抜いて賢治らしい食物観が示されて、最後に北上平野をはさんだ向かい側の北上山地が、遠く望まれます。
熔岩の無機的な黒と対照的に、そこには賢治がいつも「コバルト山地」と呼んで親しんでいる、なつかしい青色がありました。
「あれがぼくのしやつだ/青いリンネルの農民シヤツだ」という結びの語句は、三年後にみずから農民となる賢治の将来を暗示しています。
石碑は、立派な黒御影石でできており、私の知るかぎりでは賢治の碑のなかで最も長文のテキストが刻まれています。
文字どおり、「重厚長大」な碑です。
岩手山 焼走り熔岩流 (2001.8.12)