「きみにならびて野にたてば」詩碑
1.テキスト
きみに
ならびて
野にたてば
風きららかに
吹ききたり
柏林を
とどろかし
枯葉を
雪に
まろばしぬ
賢治
2.出典
「〔きみにならびて野にたてば〕(定稿)」(『文語詩稿 五十篇』)より
3.建立/除幕日
1995年(平成7年)5月5日 建立/除幕
4.所在地
岩手県滝沢市鵜飼臨安 春子谷地湿原隣接地
5.碑について
岩手山の南に、「春子谷地」という呼ばれる湿原がありますが、これはその近くに建てられている風情のある石碑です。この場所からは、岩手山と鞍掛山の眺望もみごとでした。
詩は、「きみ」と(私)が、ならんで冬の野原に立っている情景です。
その「下書稿(一)」において、第三連は「『さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕はんに/ひとはつれなく瞳澄みて/山のみ見る』ときみは云ふ」となっていてますから、詩のなかの「きみ」とは、(私)に対して愛情を寄せている女性であるという設定です。「きみ」は(私)のことを、 「遠くの理想ばかり見ていて、家庭的な情愛などというものに目をやらない、つれない人だ」とこぼしているわけです。
実際に賢治の身の上に、このとおりのエピソードがあったかどうかについては何とも言えず、物語的な仮構である可能性も十分に考えられます。一方で、『春と修羅』の作品中には、愛する女性の存在を思わせる表現もいくつかあり、実際にこの当時「恋人」がいた可能性も否定できませんから、そのような実体験が反映していることもありえます。
いずれにせよ、この「〔きみにならびて野にたてば〕」の最初の下書きがあるのはあの「雨ニモマケズ手帳」ですから、書かれたのはほんとうに晩年の頃ということになります。
ここで賢治は、終生理想を追求して、個人的な愛などというものに安らがなかった自分の人生を振り返り、そうとしかありえなかったものとしてそれをなかば肯定しつつも、 ほんの少し、別の可能性について考えてみているような感じがします。