「原体剣舞連」詩碑

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1.テキスト

  原 体 剣 舞 連

こよひ異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
若やかに波だつむねを
アルペン農の辛酸に投げ
ふくよかにかゞやく頬を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる顥気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
蛇紋山地にかゞりをかゝげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
  中 略
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射そゝぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋りの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萓穂のさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天の川原
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

2.出典

原体剣舞連(宮澤家本)」(『春と修羅』)より

3.建立/除幕日

1968年(昭和43年)10月13日 建立/除幕

4.所在地

岩手県奥州市江刺田原字新田 経塚森

5.碑について

 この詩碑のある場所は、かなりわかりにくいです。

 東北新幹線の水沢江刺駅または東北本線の水沢駅から行くと、北上川の支流の伊手川という川をさかのぼるかたちでバス通りを北東の方に進み、バス停の「醍醐」と「稲荷」の中間あたりで、右に折れる小さな道を入ります。50mほど行くと、「宮沢賢治詩碑」という案内の木塔が立っているので、そこから左折し、あとは山道を延々と登っていきます。
 登ることおよそ1kmほどでしょうか、それまであたりには詩碑を思わせる雰囲気すらなく、道を間違えたのではないかとかなり不安になってくる頃に、少し平らな開けたところに出ます。そこにこの碑があります。
 地図で見ると、「江刺カントリークラブ」というゴルフ場の、すぐ北東の山になるようです。

 訪れる人も少なそうな、ひっそりと年期を経たような石碑ですが、ブロンズのレリーフもはめこまれたなかなかみごとなものでした。

 「剣舞」は、岩手県内各地に分布する民俗芸能です。とくにこの原体地区の剣舞は、12才くらいまでの子どもが舞手となる「稚児剣舞」であるのが特徴ということで、詩碑のレリーフにも装束をつけた少年が三人描かれています。
 賢治は盛岡高等農林学校三年の1917年初秋、土性調査のためにこの地を旅した折に、剣舞に遭遇しました。この時の感動が、のちに「原体剣舞連」となって結実したわけです。

 この作品にあふれる独特のエネルギーは、「縄文的」あるいは「蝦夷(エミシ)的」とも感じられるようなもので、賢治の芸術の一つの源流を思わせます。

 なお、賢治はこの「原体剣舞連」の最後の部分にみずから曲をつけて、「剣舞の歌」として自作の劇中で用いています。

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経塚森頂上(稜線上で木の下に小さく見えるのが詩碑)