「雨にも負けず」詩碑

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1.テキスト

         宮沢賢治
雨にも負けず風にもまけず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを自分をかんじょうにいれずに
よく見ききしわかりそしてわすれず
野原の松の林のかげの
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
いってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいゝと言い
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないから止めろといゝ
日照のときはないだをながし
寒さの夏はおろ/\あるき
みんなにでくのぼうと呼ばれ
ほめられもせずくにもされず
そういうものに私はなりたい

2.出典

〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II」):漢字・仮名遣い改変

3.建立/除幕日

1972年(昭和47年)1月15日 建立/2月2日 除幕

4.所在地

岐阜県大垣市上石津町大字牧田2672 牧田小学校

5.碑について

 牧田という宿場町は、琵琶湖畔の米原と、伊勢湾につながる川湊(濃州三湊)を結ぶ「九里半街道」の要衝として、江戸時代に栄えていたということです。
 そしてまたここは、関ヶ原の合戦場のすぐ南に位置し、西軍の島津軍が決死の敗走で通過したと言われています。

 この地にある牧田小学校は、明治初期から続く伝統校ですが、平成の大合併によって上石津町が大垣市に編入され、「大垣市立」となりました。
p_035c.jpg 平成の賢治ブームが来る前の1972年に、この小学校に「雨ニモマケズ」の詩碑が建てられました。地域の方が個人で建立し、母校に寄贈されたのだということです。
 碑の横には、右写真の副碑があり、そこには下のように建立者の思いが刻まれています。心に沁みる言葉です。

小さな種子がやがて
大地にしっかと根ざし
その花がこの世を明かるく
美しく彩どるように
この碑石をきざむ
小さな私の夢が
世のため人のために
わずかでも役に立つことを
たゞひたすらに祈りながら
この碑を建てる
 昭和四十七年一月吉日
      本田貞夫

 JR東海道本線の「関ケ原」駅から名阪近鉄バスに乗れば、10分で「牧田(上野)」停留所に着き、牧田小学校は徒歩4分ほどです。
 小学校の前には下の写真のように、毎年の卒業生が製作した作品が並べられています。

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