「巨杉」詩碑
1.テキスト
巨杉
宮 澤 賢 治
地蔵堂の五本の巨杉が
まばゆい春の空気の海に
もくもくもくもく盛りあがるのは
古い怪性の青唐獅子の一族が
ここで誰かの呪文を食って
仏法守護を命ぜられたといふかたち
……地獄のまっ黒けの花椰菜め!
そらをひっかく鉄の箒め!……
地蔵堂のこっちに続き
さくらもしだれの柳も匝(めぐ)る
風にひなびた天台寺(でら)は
悧発で純な三年生の寛の家
寛がいまより小さなとき
鉛いろした障子だの
鐘のかたちの飾り窓
そこらあたりで遊んでゐて
あの青ぐろい巨きなものを
はっきり樹だとおもったらうか
2.出典
「五二〇 〔地蔵堂の五本の巨杉が〕(定稿)」(『春と修羅 第二集』)前半部
3.建立/除幕日
1996年(平成8年)9月29日 除幕
4.所在地
花巻市滝ノ沢 桜華山延命寺境内 (地蔵堂前)
5.碑について
今は五本ではなく二本になってしまっていますが、延命寺の地蔵堂の前には、まさに題名の通り「巨杉」というべき大樹が繁っていました。
お寺の説明によればこの杉は、天平元年(729年)に延命地蔵菩薩と護世天(毘沙門天)ともう一柱の神(?)が顕れて、子孫の繁盛と安産を守ろうと言い、杉の杖三本を土に差しておいたのがその後枝葉が茂り、巨きな杉に育ったものだということです。
昼間でも暗いような鬱蒼とした木陰に、落ち着いたこの詩碑はありました。
なお、『|新|宮澤賢治語彙辞典』では、上のテキスト中に出てくる「天台寺」を、二戸郡浄法寺町にある「天台寺」のことであると説明していますが、これはやはりこの地蔵堂のある「桜華山延命寺」のことを指しているでしょう。
延命寺は、現在は「修験宗」に属していますが、明治初年から昭和21年までは、天台宗に属していました。テキスト中で、「てんだいじ」でなくわざわざ「てんだいでら」と賢治がルビを振っているのは、この語が固有名詞ではなく「天台宗の寺」という一般名詞であることを示しているのだと思います。
「三年生の寛の家」とあるように、農学校の教え子だった桜羽場寛は、この延命寺住職の息子でした。
延命寺の地蔵堂と巨杉