「虔十公園林」碑
1.テキスト
あゝ全くたれがかしこく
たれが賢くないかは
わかりません。
たゞどこまでも
十力の作用は
不思議です。
宮 澤 賢 治
「虔十公園林」より
2.出典
童話「虔十公園林」
3.建立/除幕日
1983年(昭和58年)3月19日 除幕
4.所在地
花巻市下幅292 市立桜台小学校
5.碑について
「虔十」は、今で言えば知的障害のある人でした。いろいろ周囲の人から馬鹿にされたりからかわれたりしていましたが、ある時なにを思ってか野原に杉の苗を植えたところ、後年すばらしい杉林となって、町のみんなの心のよりどころになったというお話です。
碑に刻まれている台詞は、この町から出て偉くなった人が、死んだ虔十のことを回想して述べる言葉です。
ここには、たとえば賢治自身が後年「雨ニモマケズ」において、「デクノボー」として形象化した人間像があります。また同じような思想は、童話「風野又三郎」のなかでも、「最も愚鈍なるもの最も賢きものなり」という言葉となって表現されていました。
ほんとうの「賢さ」というのはいったいどういうことなのか、賢治は生涯にわたって何度も、このテーマを作品のなかで追求しています。
この「虔十公園林」という童話も、ほんとうの「知性」とは何かという主題を、いかにも宮澤賢治的に扱った作品であると言えましょう。
上の碑文の後半に出てくる「十力」とは、「仏に特有とされる十種の智力」のことだそうです。人間には愚かと見えることも、仏の超越的な知性から見れば、そのほんとうの意義が洞察されるということになるのでしょう。
そのような真の知性は、人間の場合には「虔=つつしむ」というような生き方にこそ宿るだろうということを、ここで賢治は述べたかったのだと思います。
さて、「虔十」という人名は、賢治が童話「ビヂテリアン大祭」の草稿第一葉欄外に書き込んでいたという、「座亜謙什」という名前を、いやおうなく連想させます。
「座亜謙什」は、「ミヤザワケンジ」というところから由来しているのかと思われますし、賢治は時に自分の署名を「Kenjü」と綴ったりもしていましたから(右写真)、いずれにしても「ケンジュウ」というのは、賢治がみずから付けた「自分の別名」、あるいは「自分の分身の名前」とも言うべきものだったのではないかと思います。
この「別名」を表記するに際して、「ケン」という音に、ことさら「虔=つつしむ」、「謙=へりくだる」という字を当てているのは、賢治が自分の名前の元字「賢=かしこい」という字に対して、なにか複雑な思いをもっていたせいなのではないかと、私は思います。賢治は、この字を宿命のように背負いながら、つねに「ほんとうの賢さとはいったい何か」ということを自問しつづけ、常識的な「賢さ」の対極に、答えを見出そうとしていたように思えるのです。
そう思ってあらためて碑文のテキストを見ると、「たれがかしこく」「たれが賢くない」というふうに、知性の肯定形にはひらがなを使って、否定形には「賢」という漢字を使って、わざわざ表記が使い分けられていることに、気がつきます。ひょっとしてこれは、意識的な使い分けなのではないでしょうか。
賢治はここで、とくに人間の知性の否定的な面を、自分の名前である「賢」の字に象徴させていたのではないでしょうか。
賢治は、自分の名前のこの字が、ほんとうはあまり好きではなかったのではないかと、ふと思うのです。
花巻市立桜台小学校