「雨ニモマケズ」詩碑
1.テキスト
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノ夏ハオロオロアルキ
ミンナニデクノバウボートヨバレホメラレモセズ苦ニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
宮澤賢治
2.出典
「〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II」)後半部
3.建立/除幕日
1936年(昭和11年)11月21日 建立/11月23日 除幕
4.所在地
花巻市桜町4丁目 羅須地人協会跡
5.碑について
数ある宮澤賢治の詩碑のなかでも、たんに「賢治詩碑」というと、これを指します。別格の重みを持った碑なのです。
碑が建っているこの場所は、農学校教師をやめた賢治が、農耕をしながら二年あまり独居自炊生活をしていた地でした。ここで彼はみずから農民となって、農民とともに科学と文化を共有し発展させるという理想を目ざしたのです。
今、毎年9月21日の「賢治忌」には、この詩碑前の広場に何百人という人が、全国から集まります。参加者が、めいめい詩碑に花を捧げ、手を合わせてお参りする様子を見ていると、みんなこの碑を、まるで賢治さんのお墓のように感じているみたいです。
それもそのはずで、じつはこの碑の地下には、六尺立方のコンクリートの基礎があり、その内部には、法華経の経文、文圃堂版の宮澤賢治全集、詩碑建立の由来を記した文書とともに、賢治の遺骨の一部も収められているのだそうです。
身照寺の本物のお墓の方は、黙って静かに手を合わせるだけの場所ですが、「賢治祭」の日の詩碑の前では、夕暮れから夜更けまで、歌や踊りや朗読や劇などさまざまな出し物がにぎやかに繰り広げられ、碑に「奉納」されます。
この夜、詩碑前の小さな広場は、宮澤賢治を愛する人々にとって、一種の「聖地」のような場所になります。
詩碑には、あの「雨ニモマケズ」の後半部分が、高村光太郎の揮毫で刻んであります。昭和11年に建立されましたが、一部に脱字があったので、昭和19年に追刻したのが、上記「1.テキスト」で上付きでグレーの字の部分です。
詩人の中村稔氏の評では、「高村光太郎は書に長じていたが、片仮名に関しては日本人で彼に及ぶ者はいない」ということです(中村稔『宮沢賢治論』)。その言葉が実感をもって迫ってくるような、雄渾で風格のある碑の一文字一文字です。
「賢治祭」開会前に献花やお参りをする人々(2001.9.21)