丘の上からの一望

 ルドルフ・シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』という本に、次のような一節がありました。

体験内容にとらわれ、その中に留まっている限り、人は非本質的なものにも本質的なものと同じように係わり合っている。内的平静(▼▼▼▼)をもって達観するとき、本質的なものが非本質的なものから区別される。苦悩も悦楽も、どんな思考内容もどんな決断も、このような態度で自分に向き合うときには別の現れ方をする。──たとえていえば、一日中町の中にいて、大小さまざまの事物を間近に見た後で、夜、近所の丘の上に立ってその町を一望の下に見渡すようなものである。そのときには町の中の対象相互の関係がその中にいるときとは違った様子で見えてくる。

(シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ちくま学芸文庫, p.31)

 上記の後半の、「たとえていえば……」以下の部分を読んで、私は「銀河鉄道の夜」の「五、天気輪の柱」の章を連想しました。

     五、天気輪の柱

 牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。
 ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もゐて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだとも思ひました。
 そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄にがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘ってゐるのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねさうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
 町の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきのやうにともり、子供らの歌ふ声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしづかにそよぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはづれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
 そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考へますと、ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
 あゝあの白いそらの帯がみんな星だといふぞ。

 ジョバンニは、午后の授業で先生の質問に答えられず、放課後は烏瓜を取りに行く友だちを尻目に活版所で夕方まで働き、帰宅して病気の母の様子を見て、配達のなかった牛乳屋に行ったけれど要領を得ず、道でザネリに会うとラッコの上着のことでからかわれ、カムパネルラとは話もできず、結局さびしさのあまり林のこみちを一人登って、丘の上に出ました。

 丘の頂から眼下を一望すると、一日中つらくやるせないことばかりだった自分の町は、まるで海の底のお宮のけしきのように美しく、子供たちの歌や口笛が、遠くきれぎれに聞こえて来ます。さっきまで心を占めていた寂しさや悲しさは、今や遙か彼方のちっぽけなものになっていました。
 すると町はずれの黒い野原を、小さく光る窓が連なった汽車が、走って行きます。車両の一つ一つの箱の中には、たくさんの旅人が乗っていて、苹果を剥いたり笑ったり、そこにはまたそれぞれの人生があります。ジョバンニは、名も知らぬままに通り過ぎていくその人たちと、再び会うことはないでしょう。

 そうやって通り過ぎていく列車を見たジョバンニは、「何とも云へずかなしく」なりますが、その「かなしさ」は、さっき町でザネリにからかわれた時に感じたものとはまた違って、この世のすべての旅人をいとおしいと思う気持ちと表裏一体になった、「愛(かな)しさ」です。
 ジョバンニが生きている「この世」は、実はあの汽車の車両の一つの箱と同じで、その中でいろんな人に出会って一緒に旅をして、そして出会った人とどこまでもずっと一緒に行きたいと願ったとしても、みんなそれぞれの目的の駅に着くと、ばらばらに降りて行ってしまうのです。

 ジョバンニはこの後、天気輪の丘から銀河ステーションにワープして、車両に乗り合わせた鳥捕りや女の子や、そしてカムパネルラとの間で、それを身をもって体験することになります。

※

 シュタイナーの言うように、「一日中町の中にいて、大小さまざまの事物を間近に見」ている私たちは、ふだんそれらの事物に一喜一憂させられていますが、「夜、近所の丘の上に立ってその町を一望の下に見渡す」ことができれば、日常の喧噪は遠くに霞んで行きます。
 天気輪の丘から町を見下ろしたジョバンニも、「そのときには町の中の対象相互の関係がその中にいるときとは違った様子で見えてくる」のを感じ、すべてを俯瞰する「内的平静」に近づきました。

 そしてこの内的平静(▼▼▼▼)こそが、シュタイナーによれば「超感覚的世界の認識を獲得する」ための入り口であり、まさにジョバンニもこの天気輪の丘から旅立って、現世の感覚を超えた銀河鉄道の車両に乗り込んだのです。

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