みづうみは夢の中なる碧孔雀

783 みづうみは夢の中なる碧孔雀まひるながらに寂しかりけり。

 この短歌は、賢治が東京に家出中の1921年4月に、父親に誘われて二人で関西旅行をした際の一首です。
 これは「歌稿〔B〕」において、「比叡」という見出しのもと、さらに「大講堂」という小見出しが付けられた八首の最後に置かれていますので、比叡山延暦寺の大講堂の近くから、遙かに琵琶湖を望んで詠まれたのかと想像されますが、実際にどんな景色だったのだろうかと確かめたくて、今日は比叡山に行って来ました。

 京都から比叡山に行く公共交通機関としては、京都市北部の八瀬からケーブルカーとロープウェイを乗り継いでいく経路と、滋賀県の大津市に出て坂本からケーブルカーで登る経路がありますが、前者の京都側のケーブル・ロープウェイは、3月中旬まで冬季運休なので、後者で行くことになります。

 ということで、京都市営地下鉄と京阪電車を乗り継いで、大津市北部の坂本にある、比叡山ケーブル「坂本駅」にやってきました。

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 比叡山ケーブルは、賢治とも同時代の1927年(昭和2年)に開業した歴史ある路線で、駅舎は懐かしくレトロな雰囲気です。

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 このケーブルは全長2025mで、ケーブルカーとしては日本最長の路線なのだそうです。

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 そして、到着したのはやはりレトロな「延暦寺駅」です。

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 この駅の北側には、琵琶湖の眺めの良い場所があります。左端の方にうっすらと琵琶湖大橋、その向こうは沖島のようです。

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 ここから北の方に10分ほど歩くと、根本中堂や大講堂のあるエリアに出ます。

 賢治たちが訪れたであろう順番に従って、まずは石段の上にある「文殊楼」に行きました。小倉豊文氏は、父政次郎から聞いた話をもとに「旅に於ける賢治」(『四次元』第3巻第2号, 1951)と「傳教大師 比叡山 宮澤賢治」(『比叡山』復刊第31号, 1957)という二つの文章を書いていますが、前者では賢治父子は文殊楼を通ったように書かれているのに対し、後者には「気づかずに通りすぎてしまったらしい」とあり、賢治が行ったのかどうかはっきりしませんが、とりあえず下写真が文殊楼です。

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 文殊楼は高台にあるので、この脇の杉木立の隙間から、下のように少しだけ琵琶湖を覗き見ることができます。

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 下の写真は、文殊楼の石段から、延暦寺の中心である「根本中堂」を見下ろしたところです。ただ、ご覧のように根本中堂は、現在工事用の素屋根に覆われていて、本来の建物は見えません。2016年から10年間の予定で大改修中ということです。

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 根本中堂は、すり鉢の底のような窪地に建てられているので、琵琶湖は見えない位置になります。文殊楼とは別の方向から行っても、下のようにかなり坂を下ります。

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 下写真は、根本中堂の脇にある賢治歌碑です。
「ねがはくは 妙法如来正徧知 大師のみ旨成らしめたまへ」

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 次は、「大講堂」です。大講堂も少し高台にあるので、参道から石段を登る必要があります。

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 ところで、この時の賢治の短歌で、小見出し「大講堂」のセクションには、次の八首が並んでいます。

     ※ 大講堂
いつくしき五色の幡はかけたれどみこころいかにとざしたまはん。
いつくしき五色の幡につゝまれて大講堂ぞことにわびしき。
うち寂む大講堂の薄明にさらぬ方してわれいのるなり。
あらたなるみ像かしこくかゝれども、その慕はしきみ像はあれど。
おゝ大師、たがひまつらじ、たゞ知らせきみがみ前のいのりをしらせ。
みづうみのひかりはるかにすなつちを掻きたまひけんその日遠しも。
われもまた大講堂に鐘つくなりその像法の日は去りしぞと。
みづうみは夢の中なる碧孔雀まひるながらに寂しかりけり。

 一、二、三首目では、いずれも「大講堂」そのものが詠み込まれています。
 四首目の「み像」というのは、大講堂の中には様々な肖像画や木像が飾られていて、釈迦、釈迦十大弟子、中国の天台智顗、日本の伝教大師最澄、聖徳太子、それに比叡山で修行した各宗の宗祖などの像が、並んでいるのです。ですから、この一首も大講堂の情景を詠んだ歌と思われます。
 すると五首目の「おゝ大師」も、その像を前にした祈りと考えるべきかと思います。
 そして、六首目に「みづうみ」が登場します。
 続いて七首目は、「大講堂に鐘つくなり」ということで、大講堂のすぐ隣にある「鐘楼」でのことと思われます。
 そして八首目が、「みづうみは夢の中なる碧孔雀」です。

 つまり、七首目までは「大講堂」またはその隣の「鐘楼」を詠んでおり、最後の八首目に出てくる「みづうみ」も六首目の「みづうみ」を承けているということを見ると、この八首はいずれも「大講堂」または「鐘楼」を舞台として詠まれたと考えるのが、最も自然だと思います。
 ですから、六首目と八首目の「みづうみ」は、できれば大講堂か鐘楼あたりから見えてほしいのです。

 下写真が、大講堂のすぐ脇にある「鐘楼」です。左端奧に見える屋根と階段は大講堂のもので、すぐ隣接しているのがおわかりいただけると思います。
 子供たちが喜んで鐘をついています。

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 そして、この鐘楼の手前左後ろあたりから、琵琶湖がほんの少しだけですが、垣間見えるのです。

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 ということで、「みづうみは夢の中なる碧孔雀まひるながらに寂しかりけり。」という短歌に出てくる「みづうみ」は、この大講堂および鐘楼のある高台から遠くに望んだ琵琶湖だったのではないかというのが、本日の結論でした。

 帰りに、「無動寺谷」の方にも寄ったのですが、こちらの方にはもう少し琵琶湖が見渡せる場所がありますので、ついでにそちらの写真も貼っておきます。
 まずは、ケーブル延暦寺駅のすぐ南の、無動寺参道入口のあたりです。

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 無動寺谷の「明王堂」から、塔頭の屋根の上に見える琵琶湖。

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 賢治父子は、大講堂に参拝した後に、無動寺谷の「大乗院」にも寄っていますので、上の二つの場所から琵琶湖を望んだ可能性もあるのですが、上記のように「大講堂」八首の構成からして、短歌に詠まれたのは、大講堂~鐘楼あたりからの眺めだろうと考えた次第です。

 最後に、延暦寺の入口に掲げられていた、お寺全体の俯瞰図を載せておきます。

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