この正月明けに亡くなられたある年配の知人の奥様に、先週お会いしてお話をする機会があったのですが、その前夜に知人のことを何となく思い巡らしつつ寝床に入っていると、その方と奥様が出てくる夢を見ました。とても複雑で奇想天外な内容で、わけがわからないような夢だったのですが、早朝に目が覚めると、なぜか不思議に少しほっとしたような気持ちがしました。
その知人は、シモーヌ・ヴェイユの思想や生き方に心酔して、まるでヴェイユのごとく自分の身を削るようにして、世の中の虐げられた人々のために尽力奔走する人生を送り、その途中で病に倒れられました。
病気がいったん小康を得ると、知人はご自身のそれまでの生き方を振り返って、これまでの自分は少し自分自身を追い詰めすぎていたのかもしれないと言い、これからはヴェイユよりも、ブッダやタオの教えを導きにして、残された日々新たな方向を目ざして歩んでいきたいとおっしゃりました。そしてそれから数年は、山を歩いて野草を愛でたり、絵を描いたりして、日々を過ごしておられたのです。
そのような穏やかな生活を送りながら、私にもよく折々の心境を話して聞かせて下さっていたのですが、そんな私たちの予想もしないある日、突然に帰らぬ人となったのです。
その知人と奥様が出てくる複雑な夢から目覚めて、私の心にはなぜかふと、「賢治も結局は自分自身のために生きて死んだんだ」という言葉が浮かんで、そしてその時に私はわけもなく、何かほっとしたような気がしたのです。
夢には賢治のことはまったく出てこなかったのに、目が覚めてみると賢治に関する言葉が残っているとは、何とも不思議なことでした。
それにこの、「賢治も結局は自分自身のために生きて死んだんだ」という言葉の意味も、私としてはよくわかりません。
賢治は、自分自身のためではなく、「利他の精神」によって生き、死んだ人の、典型のはずです。賢治を敬愛する方々の中には、彼が自分のために生きて死んだのだなどと聞くと、変なことを言うなと憤る方も多いでしょう。私もそう思いますし、いったいなぜこんな言葉でほっとしたのか、どうも釈然としません。
しかし戸惑いながらも、まだ外は暗い早朝の寝床の中で、私はぼんやり次のようなことを考えていました。
ある意味では、賢治もシモーヌ・ヴェイユのように自らの健康を犠牲にしてまで世の人々のために働き、その類い稀な才能や創作の種子を、まだたくさん内に秘めたままで、この世を去ってしまいました。その早すぎる死を思うと、心が痛まずにはいられません。
しかし、あの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉に従えば、賢治が彼自身の「個人の幸福」を手にするためには、まずはどうしても「世界の幸福」を実現する必要があったのです。そして、その「世界の幸福」をこそ目ざして、彼は文学の創作や宗教や農業や教育に、命を燃やし尽くしました。
賢治にとっては、それが彼独自の「個人の幸福」へと至る、唯一無二の道だったのでしょうし、また「自分」と「世界」がしばしば合一するという性癖を持っている彼にしてみれば、「世界の幸福」と「個人の幸福」とは、結局は同じことだったのかもしれない……などど考えつつ、またM.T.さんのご冥福を祈りつつ、私はうとうとと、もう一眠りしたのでした。
コメント