1月1日の「(大)正月」に対して、1月15日を「小正月」と言います。
古代の日本では、満月が月の初めとされていたそうですが、中国から太陰太陽暦が導入されるとともに新月が月初とされて、「正月」も半月早くなりました。
これに伴い、歳神や祖霊を迎えるなどの公式の行事は、新たな1日の大正月に行われるようになりましたが、元服の儀式や様々な農耕儀礼など、どちらかというと私的な行事は、古式に則ってそのまま15日の満月の日に残されたということです。
もとは一つの正月が、二つに分かれたわけですね。
さらに平成に入って、小正月に由来していた「成人の日」が、「ハッピーマンデー」なる制度の導入により日付が不定となったことを受けて、小正月行事はさらなる分散を余儀なくされます。
すなわち、1月の第二月曜となった新たな「成人の日」に行われるもの、そのまま1月15日に行われるもの、15日の次の日曜に行われるものなど、地域によって、また行事によって、さらに煩瑣に分かれる事態になったのです。
うちの近所の公園では、今日19日の午前中に、「どんど焼き」というのをやっていました。地域の消防団の人が火を起こして、そこに町の人々がお正月の注連飾りや門松の青竹や、書き初めをした半紙などを持ち寄り、積み重ねて燃やすのです。「どんど焼き」とか「とんど」とか呼ばれるこの小正月の行事は、それまで来訪していた「歳神様」あるいは「祖霊」を、祝祭期間の終了とともに火によって送り返すという趣旨なのだそうで、また「左義長」と呼ぶ地域も多いでしょう。
ビルの谷間にあるような小さな公園ですから、火も上写真のようにほんとにかわいいものですが、近所の子供たちはけっこう集まって、無料で配られるぜんざいを食べていました。このぜんざいも、「小正月には小豆粥を食べる」という風習に由来するものなのでしょう。
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一方、村の境や神社などに「勧請縄」という長い縄を張って、ケガレや悪霊の侵入を防ぐという風習がありますが、この縄を綯って吊すという「勧請吊り」の儀式が行われるのも、多くは小正月です。
最近私は、この勧請縄に「トリクグラズ」という奇妙な名前のまじない物を取り付ける風習があることを知り、この怪しげな名前には、かなり興味をそそられました。これは近畿地方を中心に、とくに滋賀県の琵琶湖東岸地域にはたくさん分布しているということでしたので、今日はちょっと電車に乗って、東近江市まで見に行ってきました。
京都も昨夜は雪が降って、朝はうっすらと残っていたのですが、電車が滋賀県に入ると、一面の雪景色でした。
近江八幡駅でJR東海道線から近江鉄道に乗り換え、さらに八日市で乗り換えて「長谷野」という駅で降り、雪の中を少し歩くと、「長緒神社」という神社に着きました。
この神社の鳥居の脇の、二つの石灯籠が門のように並んで立つ場所に、青竹が渡されて、その下に真新しい太い縄が張られていました。これが、「勧請縄」です。この神社では、先週この勧請吊りが行われたようです。
そして、この縄の中央部に、杉の葉で作られたクリスマスの「リース」のような大きな輪が吊り下げられていますが、これこそが、「トリクグラズ」というものです。
上の写真では背景にまぎれてわかりにくいので、下にその拡大した写真を載せます。
それにしてもまあこの「トリクグラズ」は、西洋のクリスマス飾りに似ていますね。冬でも青い葉であることや、形が円であることには、洋の東西を問わず聖なる意味があるために、同じようなものになったのでしょうか。滋賀県でも他の地区のトリクグラズには、円の中に十字の印とか、陰陽師の紋のような五芒星や、ダビデの星のような六芒星もあるそうなのですが、残念ながら思わぬ雪のために、他を見てまわることはできませんでした。
上の写真で、トリクグラズの上に付けられたお札には、ここは神社なのに「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 廣済衆厄難」という「無量寿経」の一節が書かれていて、神仏習合の様子が今に伝えられています。
さて、「トリクグラズ」とは、漢字で書けば「鳥潜らず」ということなのでしょう。ここに張り渡された「結界」を越えて鳥が侵入しないように防ぐ、という意味合いなのかと思われますが、「大きな円形の作り物を吊るす」というところは、現代も鳥除けのためにぶら下げる大目玉のような風船に、どこか通ずるところもありますね(笑)。
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しかし、なぜほとんど鳥など飛んでいない冬のさなかである小正月に、鳥除けのまじない物を吊るすのかというのが不思議なところで、これはやはり小正月に行われる「鳥追い」という行事と、内容的には関連したものと思われます。
「鳥追い」とは、田畑に害をなす鳥を追い払うことによって豊作を祈願する、農耕儀礼の一種です。鳥のいない小正月にわざわざ行うのは、一年のうちで重要な日に儀式を行っておけば、一年中にわたってその効果があるという考えに基づくもので、これを「予祝儀礼」と言います。あらかじめ済ませておけば、忙しい収穫期に害鳥対策に追われる心配もないというわけですね。
ただし現実の鳥を追うわけではないので、次第に形式化・遊戯化していき、一連の儀式はおもに子供たちの役割となりました。東北地方では、子供たちが小屋がけをして、各戸からもらい集めた正月の注連飾りや松飾りで屋根を葺き、正月14日または15日の夜に小屋に火をつけて燃やし、大声で「鳥追い歌」を唄うのだということです。
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ところで、神聖な「結界」に、「トリクグラズ」というまじないを懸けるということから、私がどうしても連想するのは、「グスコーブドリの伝記」の冒頭部です。
お母さんが、家の前の小さな畑に麦を播いてゐるときは、二人はみちにむしろをしいて座つて、ブリキ缶で花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上をまるで挨拶するやうに啼きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
ブドリが学校へ行くやうになりますと、森はひるの間大へんさびしくなりました。そのかはりひるすぎには、ブドリはネリといつしよに、森ぢゆうの樹の幹に、赤い粘土や消し炭で、樹の名を書いてあるいたり、高く歌つたりしました。
ホツプの蔓が、両方からのびて、門のやうになつてゐる白樺の樹には、
「カツコウドリ、トホルベカラズ」と書いたりもしました。
まさに「トリクグラズ」のように、ブドリとネリは森の中で「門のやうになってゐる」場所に、「カツコウドリ、トホルベカラズ」という結界を張りわたしたのです。
しかしここで、なぜ「いろいろの鳥」がブドリとネリに挨拶をしていた中で、特に「カッコウドリ」だけが、排斥されなければならなかっったのでしょうか。
その理由は、カッコウがかの悪名高い「托卵」という習性を、持っているからかもしれません。
カッコウの母鳥は、モズやホオジロなど他の鳥の巣に勝手に卵を産みつけて、自分の卵をその親鳥に暖めさせるという行動をとります。そしてやがて孵化したカッコウのヒナは、巣の持ち主が産んだ卵を巣の外に放り出してしまい、自分だけが居候先の親鳥から餌をもらって、成長するのです。
すなわち、カッコウという鳥は、本来ならば他の鳥が持てたはずのスイート・ホームを、無情にも破壊してしまうという性質を持っているのです。イーハトーブの森の奥で、親子水入らずの幸せな暮らしをしていた幼い兄妹としては、「家族」を引き裂くようなこんな不吉な鳥は、自分たちの世界に入れてはならなかったのではないでしょうか。
つまり、ブドリとネリがホップの蔓と白樺の樹に張りわたした「結界」は、遊戯化された形をとってはいますが、自分たちの家族を守護するための呪禁だった可能性があります。これによって二人は、父母とともにまだ何の悲しみも知らないで暮らしていた、自分たちの輝かしい無垢の幼年時代を、何とかして守ろうとしたのではないでしょうか。
しかし、やがてイーハトーブを襲った災厄によって、この「結界」は破られてしまいます。
父と母は去り、ネリは誘拐され、残されたブドリも森を後にして、この家族は崩壊したのでした。
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最後に「小正月」にちなんで、幼い賢治とトシの有名な写真を貼っておきます。この一枚は、兄妹二人の祝福された幼年時代が、永遠に封入されたものです。
撮影したのは賢治の叔父の治三郎でしたが、彼はこの写真を撮った翌年に、27歳の若さで亡くなってしまいました。彼の死は、父政次郎をより深く仏教信仰へと駆り立てることになりますが、その意味でもこの写真は、宮澤家の誰もがまだ悲しみを知らなかった時代の、記念碑なのです。
ちなみに、トシの後ろに写っているお飾りは「繭玉」と言って、柳やミズキなどの枝に、蚕の繭の形にした餅や団子を付けて、その年の繭の豊収を祈願するという、小正月の行事です。これも「予祝儀礼」の一種ですね。
後ろの繭玉の存在によって、この写真には無垢の二人の輝きと、小正月の祝祭の雰囲気とが、ともにしっかりと刻印されることとなったのです。
(『新校本全集』第16巻(下)より)
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