中島らもと宮澤賢治というと、まったく対照的な作家ということになるのかもしれませんが、弱いものへの(過度の)共感、 あまりにも全的な愛を描くところ、二人とも自己破壊的なところなどは、なんか似ているようにも思えます。
賢治は、中島らもよりもはるかに無名のままに死んだでしょうが、でももしも今ほどの情報化社会に生きていたら、 生前の彼くらいの有名度でも、その動静はそれなりにメディアの伝えるところになっていたでしょう。そして、 らも氏の行動に私たちがいつもはらはらしていたように、この奇矯な詩人が「教職を投げ出してしまったらしい」とか、 「工場のセールスマンで無茶をやっている」などと聞くと、やはり心配している人には心配をかけつづけ、らも氏同様、訃報の時には「やっぱり… 」という反応を私たちに引き起こしたかもしれません。
それにしても、悲しい知らせでした。すべてのバーで飲み明かしても足りない気分です。
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