盛岡から、北へ(4)

 目が覚めると午前1時、列車は函館の手前にさしかかったところでした。まもなく、がらんとした函館駅に停車して、 次に発車する時は列車の前後が逆になりました。

 窓から暗い外の景色に目をこらしていても、人里のようなところはあまり見えません。道路のライトのような明かりが、 時おり後ろへ飛んでいくくらいです。照明の落とされた車内では単調な走行音がいつまでも続き、みんなもの憂げな顔をしています。
 暗くてよくわからなかったのですが、だいたい3時すぎ頃に、列車は噴火湾沿岸に出たようです。 窓の外には黒い海が横たわっているようでしたが、あいにく賢治が見たような船の灯りは見えません。
 4時頃になると、空は少しずつ藍色に染まりはじめました。「そこらは青い孔雀のはねでいつぱい」です。 そしてまもなく東室蘭駅に着きました。乗客のみんなも伸びをしたり景色を眺めたり、だんだん動きだしています。

 やっと札幌に着いたのは6時8分、次いで旭川行き特急「ホワイトアロー」に乗り換え、旭川駅に着いたのは朝8時18分でした。
 賢治の「旭川」にならって、 駅前から伸びる昔の「師団通」―今は「平和通買物公園」―を北に進みます。一条、二条、三条と順に東西の通りを越えて、六条通を右折します。 ポプラ並木を見ながら進むと、旭川東高校の前に、今回のお目当ての「旭川」詩碑が立っていました。

 これは、去る8月2日に除幕式が行われたばかりの、現時点で全国最新の賢治詩碑です。美しく立派な石に、 賢治の草稿の筆跡のままの文字が刻まれています。これを念入りに写真におさめ、作品中に出てくる周囲の並木も写して、碑を後にしました。

 続いて、四条通裏にある「天金」というラーメン店に、昼ご飯を食べに行きました。11時開店の少し前に行ったのですが、 もう5人ほどの人が並んでいました。注文したのは「正油ラーメン」で、太目のちぢれ麺に、豚脂も浮かんだ濃厚なスープです。 旭川ラーメンではここが評判がよさそうなので来てみたのですが、さすがの美味しさでした。東日本の麺としてはやや「かんすい」 が少なめなこと、「こってり」かつ「シンプル」であることなど、意外にも京都のラーメンと共通した雰囲気もありました。

 その後、早めにホテルに入って高校野球を見たりこれを書いたりしていたところ、午後3時すぎに、 旭川賢治研究会の石本さんがホテルを訪ねて来てくださいました。今回の詩碑建立をめぐって、 石本さんとは数ヶ月前からメールのやりとりはしていたのですが、お盆のあわただしい中を、わざわざ足を運んでくださったのです。それに、 大正12年頃の旭川市の復元マップや、2週間前の詩碑除幕式の写真や碑の拓本の縮小版など、貴重な資料も持参してくださり、感謝・ 感激でした。「旭川」テキストの解釈をめぐっても、いろいろと興味深いお話を聴かせていただき、とても勉強にもなりました。
 30分ほどお話をした後、ロビーで石本さんをお見送りすると、いただいたマップを持って、もう一度詩碑までの並木道を歩いてみました。 今日は見事な夕焼け、明日の飛行機は青空を飛べるかもしれません。