大島紀行(1)

 朝7時50分京都駅発のひかりに乗り、 静岡でこだまに乗り換えて三島へ、三島から沼津まで東海道本線、 さらに沼津から御殿場線に乗って、裾野に着きました。裾野市は、 名前のとおり富士山の麓にある街ですが、今日はあいにく雲が厚く、 富士は見えません。

 ここから箱根の外輪山へ向かって北東にしばらく入ったところに、「総在寺」というお寺があって、その境内に「雨ニモマケズ」 の詩碑が建てられています。花に囲まれたその詩碑を見てきました。

 この碑を建てられた浦辺諦善師は、宮澤賢治関係の資料収集もしておられて、その成果は沼津市の法華宗本門流大本山光長寺南之坊に、 「宮沢賢治文庫」としてまとめられているとのことです。今回、その資料を拝見できないかと昨日お電話をしたのですが、 もともと一般に公開するためのものではないのと、ちょうど今日はお経を上げに出ておられるとのことで、残念ながら見学はかないませんでした。

 総在寺を後にすると、ふたたび御殿場線に乗り、ちょうど箱根の周囲をぐるっと廻るかたちで、東へ向かいました。 天気は少しずつよくなって、時々富士のてっぺんが雲の間から顔を出します。御殿場線終点の国府津からは東海道線で小田原、 小田原から箱根登山鉄道で宮ノ下まで行き、かわいらしいケーブルで今夜泊まる堂ヶ島温泉に入りました。

 賢治が箱根八里を歩いたのは、1916年3月30日、盛岡高等農林学校の修学旅行からの帰途でした。 これから山道に入るというところで、当時19歳の賢治は、 サッと一杯飲み屋ののれんをくぐって酒をひっかけてから歩き出したという逸話があります。 賢治にもそんなバンカラ学生の頃があったのかと思います。