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杉原泰蔵「風の又三郎」

1.歌曲について

「東京朝日新聞」広告(1940.10.12) 1940年(昭和15年)に公開された日活映画「風の又三郎」は、「はじめての児童映画の誕生」などと高く評価され、日本各地で上映されました。多くの人々にとって、この映画が、宮澤賢治という人の作品に触れる最初の機会となったことでしょう。
 そして、この映画の主題歌「風の又三郎」も、人々に親しまれ、口ずさまれました。後に、童謡歌手菅原都々子によってレコード化もされたということです。
 現在でも、毎年賢治詩碑前で行われる「賢治祭」の幕開けは、南城小学校の子どもたちによるこの歌の合唱に決まっています。

 歌の歌詞は、童話の冒頭の、「どっどど どどうど・・・」で始まる有名なフレーズに、杉原泰蔵というピアニスト・編曲家・作曲家が、曲を付けたものです。
 杉原泰蔵氏は、上海帰りのジャズ・ピアニストで、1930年代終わりからテイチク・レコードに所属し、古賀政男やディック・ミネの歌の編曲を手がけるとともに、バンドの中でピアノを担当していました。映画音楽としては、1938年の日活多摩川「少年突撃隊」や1941年の東宝映画東京「人生は六十一から」など数本を手がけ、戦後は日活の「夜霧に消えたチャコ」という映画の音楽も担当しています。
 「風の又三郎」の音楽も、当時の彼の多忙な仕事の一つだったのでしょうが、独特の半音階的な旋律進行が、又三郎の神秘性を象徴するような感じもして、なかなか味のあるものです。

一郎と三郎(映画の一場面) ちなみにこの部分は、生前に賢治が教え子の沢里武治に作曲を依頼したものの、結局沢里は詞に見合った曲を付けることができず、賢治に詫びたといういわくつきのフレーズです。沢里は、そのことを終生負い目に感じていたとも言われています。
 作曲する観点からは、「どっどど…」などという言葉の激しさや内容から、強いリズムや跳躍的な音を付けたくなるところでしょうが、杉原泰蔵は意外にもそのような行き方とは正反対に、静かで半音階的な音進行を用いて成功したのが、おもしろいところです。


 さて今回の演奏ファイルは、中村節也編曲『イーハトーヴ歌曲集』(マザーアース)の譜面をもとにしたものです。中村氏は、この楽譜について以下のように説明しておられます。

 今回はとくに著作権承継者のお許しをいただいて編曲、出版の運びとなりました。だれでも知ってはいても、歌詞もメロディもはっきりしない幻の歌、おそ らく楽譜はいままでなかったでしょう。したがってこの歌の出版はとても意義のあることとおもいます。

 初めての楽譜出版ならば、たしかに意義のあることですね。

 下の演奏ファイルでは、風の音を重ねたり楽器の音色をいじったりはしていますが、中村節也氏編曲の譜のとおりの伴奏になっています。
 一つ気がついたのは、たいていの人がこの歌を唄う時は、

 

と唄っているのに対して、今回の楽譜では、

 

となっていて、「すっ」と「ぱ」が同じ音のままなんですね。多くの人は、「すっ」から「ぱ」に移る際に、もう半音階下降を始めてしまいますが、一歩だけ足踏みして下降を遅らせるこちらの楽譜の方が、おそらく本来の「正しい」ものなのでしょう。

2.演奏

3.歌詞

どっどど どどうど どどうど どどう、
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくゎりんもふきとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう、
どっどど どどうど どどうど どどう



種山ヶ原に立つ「風の又三郎」像