千原英喜 「雨ニモマケズ」ほか

 作曲家千原英喜氏(1957- )は、日本の伝統音楽や西洋のルネサンス期以前の音楽の要素を取り入れた独自の作風で知られています。とりわけ、合唱曲の分野での活躍は目覚ましく、すでに数多くの作品が、全国の合唱団にとってなくてはならないレパートリーになっています。

 千原英喜氏が合唱曲の題材とするテキストは、「古事記」をはじめとする日本古典から、キリスト教やインドのリグ・ヴェーダなど古今東西にわたりますが、宮澤賢治の作品にも深い関心を寄せ、2007年の「混声合唱とピアノのための組曲 雨ニモマケズ」、2009年の「混声合唱組曲 月天子」、「児童・女声合唱組曲 ちゃんがちゃがうまこ」など、近年は賢治のテキストにもとづいた名作を相次いで世に送り出しておられます。

 ここでは、そんな千原氏の作品から、下記を取り上げてみました。

1.雨ニモマケズ
2.ちゃんがちゃがうまこ
3.祭日
4.宮沢賢治の最後の手紙

1.雨ニモマケズ

 2007年9月に京都で初演された「混声合唱とピアノのための組曲 雨ニモマケズ」は、「I.告別(1)」、「II.告別(2)」、「III.野の師父」、「IV.雨ニモマケズ」という四楽章からできています。
 この曲について作曲者は、楽譜に寄せた「曲について」という文章の中で、次のように書いています。

 『告別』『野の師父』『雨ニモマケズ』による合唱組曲である。宮沢賢治の詩の中でもこの三編に特に深い感銘を受ける。いずれも名作の誉れ高く、ずっしりと読みごたえのあるものだ。持てる力と情熱を渾身投入し、名詩に相応しい音楽を生み出そうと強い決意を持って作曲に臨んだ。賢治の世界と対話しながらの創作の日々、書き留められて行くメロディーやハーモニーのひとつひとつに喜びを感じながら、至福の時を過ごした。

なんと素晴らしい作曲のプロセスであったことだろうと思います。

 そして、組曲の終曲「雨ニモマケズ」については、次にように書いておられます。

 さぞかし無念だったろう。晩年の病床の中で諦念をもってしたためられた詩・祈りである。賢治は “サウイフモノニ、ワタシハナリタイ”のである。詩の冒頭 “雨ニモマケズ、風ニモマケズ” にヴァイタリティを感じてはならないと人は言うかもしれない。しかし私には雨風の中へ勇猛果敢に飛び出し行く賢治の姿が見えるのだ。東に西に人々を励まし歩く声が聞こえて来るのだ。彼の一生を顧みて、つねに企画し、挫折し、また新たに物事をおこす前向きなエネルギーに心打たれる。私は賢治の魂にエールを送ろう。哀憐の調べではなく、勇気奮い立つ響きで彼を讃えよう。そして賢治とともに私は颯爽と山野をかけめぐるのだ。Alla Marcia―行進曲風に、活き活きと、アッコード(和弦)に力漲らせて。曲は今を生きる皆への応援歌、命の讃歌だ。

 さて、ここではまず組曲の中から、「今を生きる皆への応援歌、命の讃歌」である終曲「雨ニモマケズ」を、お届けします。

演奏

歌詞

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


京都府立府民ホール「アルティ」
初演会場:京都府立府民ホール「アルティ」

2.ちゃんがちゃがうまこ

 この「ちゃんがちゃがうまこ」は、2009年に初演された『児童・女声合唱組曲 ちゃんがちゃがうまこ』の第2曲で、賢治が1917年(大正6年)に作った方言短歌連作「ちゃんがちゃがうまこ」に曲を付けたものです。
 「チャグチャグ馬コ」とは、農耕馬に感謝する盛岡の伝統行事で、色鮮やかな装束で着飾った100頭程の馬と馬主が、滝沢市の鬼越蒼前神社で参拝し、盛岡八幡宮までの約13kmの道のりを、約4時間かけて行進するというものです。「チャグチャグ」というのは、馬に吊され、歩くたびに鳴る鈴の音色を表したもので、賢治はこれを地元の方言風に訛って、「ちゃんがちゃが」と表記しています。
 楽譜に載せられた千原氏による解説には、「曲は、夜と明け方との境の幻想的なひとときに、かすかに聞こえてくる鈴の音で開始する」と記されていますが、冒頭と最後でピアノに出てくる音型は、鈴の音を表現しているわけですね。
 今回の演奏では、一番最後に実際の鈴の音を一つだけ入れてみました。

演奏

歌詞

   ちゃんがちゃがうまこ

夜明げには
まだ間あるのに
下の橋
ちゃんがちゃがうまこ見さ出はた人

ほんのびゃこ
夜明げががった雲のいろ
ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て来る

いっしょけめに
ちゃんがちゃがうまこはせでげば
夜明げの為が
泣くだぁぃよな気もす

下のはし
ちゃがちゃがうまこ見さ出はた
みんなのながさ
おどともまざり

3.祭日

 同じく『児童・女声合唱組曲 ちゃんがちゃがうまこ』の4曲目は、賢治の文語詩「祭日〔二〕」に曲を付けた、「祭日」です。
 この詩の舞台は、花巻市街から10kmほど東へ行ったところにある「成島毘沙門天」で、ここには高さが4.7mもある全国最大の毘沙門天像があります。この毘沙門天の変わった風習は、人々が毘沙門様の足に味噌を塗りつけて祈れば願いがかなえられると信じられていることで、賢治の詩においても、 疫病にかかった子供をかかえた母親たちが、赤い幡を持って峠を登って来て、毘沙門像に味噌を奉ります。
 千原氏が2007年に作曲したこの曲の原曲は、チェロ、ピアノ、団扇太鼓、鉦、混声合唱のための作品でしたが、この曲集のために、主要旋律のみを取り出して編曲したものだそうです。
旋律は、日本的な素朴なペンタトニックで、子供の病気快癒を祈る母親たちの切実な思いを載せているかのようです。
 最後近くの、「四方につゝどり鳴きどよむ…」という箇所からしばらく続く伴奏ピアノに出てくるパッセージは、鳥の鳴き声を表現しているのかと思われますが、今回の演奏では、この部分に実際の鳥の鳴き声も入れてみました。小さい声ですが、耳を澄ませていただくと「ポポッ、ポポッ」と聞こえるのが、「つつどり」です。

演奏

歌詞

   祭日

アナロナビクナビ 睡たく桐咲きて
峡に瘧のやまひつたはる

ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
草の峠を越ゆる母たち

ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門像に味噌たてまつる

アナロナビクナビ 踏まるゝ天の邪鬼
四方につゝどり鳴きどよむなり

4.宮沢賢治の最後の手紙

 宮澤賢治は1933年(昭和8年)9月11日に、元教え子の柳原昌悦にあてて、一通の手紙を書きました。死の10日前に、原稿用紙に書かれたこの書簡が、賢治の最後の通信となったのです。
 この手紙は、彼の生涯で最後のものであるという位置づけにとどまらず、その内容がいろいろな意味で読む者の心を打つために、朗読で取り上げられることもしばしばあります。
 千原英喜氏は、東日本大震災の後、このテキストに曲を付けて、「朗読とユニゾンによる宮沢賢治の最後の手紙」を作られました。そして千原氏は、カワイ出版が主催する「歌おうNIPPONプロジェクト」に無償でこの曲を提供し、被災地に歌声とエールを届けるという趣旨で、楽譜も公開されたのです。
 深甚な衝撃と喪失を経験したこの国に、「楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう」という、賢治の淡々とした語り口が贈られたのです。

 この曲は、ピアノ伴奏に載せて朗読と歌が交互に登場するという形式をとっています。下の歌詞の中で、作曲にあたって賢治の原文から( )内は省略され、〔 〕が補われています。

演奏

歌詞

   宮沢賢治の最後の手紙

八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。
あなたはいよいよ(ご)〔お〕元気なやうで実に何よりです。
私もお蔭で大分癒っては居りますが、
(どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、
咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、
或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、)

仲々もう全い健康は得られさうもありません。
けれども(咳のないときは)とにかく人並に机に座って切れ切れながら 七八時間は何かしてゐられるやう〔に〕なりました。

あなたがいろいろ思ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、
それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。
しかも心持ちばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。
(私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。)
僅かばかりの才能とか、器量とか、
身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、
(じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、)
いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引揚げに来るものがあるやうに思ひ、
(空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのをみては、たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。)
あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、
(しかし何といっても)時代が時代ですから充分にご戒心下さい。

風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、
本気に観察した世界の実際と余り〔に〕遠いものです。
どうか今の(ご)生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、
楽しめるものは楽しみ、
苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。

いろいろ生意気なことを書きました。
病苦に免じて赦して下さい。
それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。
また書きます。

千原英喜「宮沢賢治の最後の手紙」