「雨ニモマケズ」詩碑
1.テキスト
雨ニモマケズ
宮沢賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテイカラズ
イツモシヅカニワラッテイル
2.出典
「〔雨ニモマケズ〕」(「補遺詩篇 II」)より
3.建立/除幕日
不明
4.所在地
愛知県安城市大東町12-8 安城市立安城中部小学校校庭
5.碑について
安城市立安城中部小学校は、東海道本線の安城駅から徒歩10分ほどところにあります。
この学校の校庭には、あちこちに小さな詩碑が置かれていて、その全体は「文学の散歩道」と名づけられています。
碑に刻まれているのは、地元出身の新美南吉の「貝殻」、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」、草野心平の「春のうた」、三好達治の「土」など、いずれも魅力的な作品で、おそらく小学校の国語の教科書によく掲載されるものなのでしょう。
その中の一つに、賢治の「雨ニモマケズ」があります。
下の写真が、校内に掲示されている「文学の散歩道」の案内図です。
この小学校では、毎年秋に「文学の散歩道 発表会」という催しを行うのだそうです。この日は全校の児童が体育館に集まり、学年ごとに校内の碑に刻まれている詩を、群読したり、担任の先生が曲を付けて歌ったりして、練習の成果を披露します。
その中で、最長の作品である「雨ニモマケズ」を担当するのは、毎年6年生の役割になっているようです。
小学校のすぐ隣には、この安城市を象徴する存在とも言える「明治用水」が流れています。
三河地方西部に広がる碧海台地は、かつては水が乏しく農業には不向きだったということですが、明治時代にこの用水が完成したことによって一気に農業が発展し、大正時代には安城地区は「日本のデンマーク」とも呼ばれていたということです。
大正15年に賢治も教鞭をとった岩手国民高等学校は、デンマークで農民を対象に開校していた
安城中部小学校