「春と修羅 序」オブジェ
1.テキスト
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
2.出典
「序」(『春と修羅』)より
3.建立/除幕日
1998年(平成10年)4月1日 開学に合わせて建立
4.所在地
岩手県滝沢市巣子152-52 岩手県立大学
5.碑について
滝沢市にある岩手県立大学の生協食堂の窓からは、岩手山の眺めがとても美しいのですが、この食堂でお昼を食べようと誘われて、たまたま大学のキャンパスを歩いていた時に、『春と修羅』の「序」が刻まれたこのオブジェに、偶然出会いました。その独特の存在感と、あらためて読む賢治のテキストの奥深さに、感動がこみ上げてきまました。
これは、大理石のような質感の素材を、二重に重ねられた人間の頭部のように切り出した形をしていて、そこに賢治による「序」の冒頭部分が刻まれています。上の写真のように、正面からちょっと見ただけでは文字が彫られていることもわかりにくいのですが、近づくとはっきりと見えてきます。
大学という場にふさわしく、これはとても「知的」な雰囲気を醸し出しているオブジェです。
岩手県立大学の構内には、これ以外にも右の上下2つの写真ように、やはり人間の頭部をモチーフにした彫刻が、いくつか置かれています。岩手県立大学の建学の理念とされる、「自然」「科学」「人間」という三つの柱のうちの、とりわけ「人間」を象徴しているのでしょう。
それらの彫刻群の中にあって、上の賢治のテキストを刻んだ彫刻は、「詩碑」として建立されたというわけではないのでしょうが、「《私》とは、いったい何なのか?」という問題に迫ろうとする賢治の言葉は、人間という存在ついて、独特な視点からの示唆を与えてくれます。
さて、この岩手県立大学は、第5代岩手県知事の工藤巌氏が在任中に設立構想を打ち出し、紆余曲折はあったものの、次の増田寛也知事時代の1998年に開学しました。
大学の生みの親とも言える工藤巌氏の父は、実は盛岡高等農林学校で賢治の一級下で、寮でも同室で仲の良かった工藤藤一だったというのが、賢治とこの大学の不思議な因縁です。その後も賢治は、岩手県農事試験場に勤務していた工藤藤一のもとをたびたび訪れては、おもに土壌肥料学の分野について教えを受け、また東北砕石工場時代には、石灰肥料の試験の依頼もしています。
20世紀の終わりになって、岩手県立大学がオープンした場所は、その工藤藤一が場長まで務めた岩手県農事試験場の流れを汲む、畜産試験場の跡地だったということも、また工藤親子に関わる不思議な縁と言えます。