「虔十公園林」碑
1.テキスト
宮沢賢治
ああ ここは
すっかりもとの通りだ
木まで
すっかりもとの通りだ
木は 却って
小さくなったようだ
みんなも遊んでいる
ああ あの中に
私や私の昔の友達が
いないだらうか
虔十公園林より
2.出典
童話「虔十公園林」
3.建立/除幕日
1976年(昭和51年)6月1日 建立
4.所在地
北海道帯広市西3条南6丁目 帯広中央公園
5.碑について
帯広は、空の大きな街です。
駅ビルを出ると、広くてまっすぐな道路と、遮るもののない空が見わたせます。「穹窿」とか「気圏」といった賢治の言葉を実感させてくれます。
地図を広げて、壮大な碁盤の目になっている市街を見ても、この街がほんとうに広々とした平原に計画されたことがわかります。京都の町並みも碁盤の目ですが、その大きさ・広がりの桁が、まったく較べものになりません。
さて、この街のほぼ中心にある小ぢんまりとした公園が、「帯広市中央公園」です。開拓初期からこの地にずっと建っていた小学校が移転していった跡地に造られた公園ですが、その入口近く、下写真の「中央公園」という標識の台座には、次のような文章が刻まれていました。
この公園は帯広小学校跡地に市が昭和五十一年に造成した帯広圏都市計画公園である
帯広小学校は明治二十九年(一八九六)西一条南七丁目に 学童三十八名をもって誕生 明治三十八年西三条のこの地に移転して風雪に六十年を過した 昭和四十七年西九条の現校舎に移り 本年開校八十年を迎えた 第一回卒業生が巣立ってから二万名 各々青雲の志を抱いて大空に飛び立った
思い出つきない 母校の跡が市民憩いの中央公園に生れ代わったことは誠に今昔の感にたえない
よって同窓生一同相集い 柏の老樹のまわりに若柏を植え記念碑を建て永く愛惜の情をとどめることにした 公園よ市民に愛され若木よ茂れ
母校よ 永久に幸あれ
昭和五十一年九月十二日
帯広小学校同窓会
小学校の同窓生たちの、この地に対する愛着が伝わってきます。
そしてこの公園のまん中あたりには、一つの大きな岩があります。その岩肌には、注意して探していた私もなかなか見つけられなかったほどですが、上写真のようにさりげなく賢治の「虔十公園林」の一節が彫られているのです。
その一節は童話の中で、かつて公園林で遊び、今は偉くなって母校の小学校に講演のために帰ってきた博士が、久々に公園林を見てひとりごとのようにつぶやく言葉なのですが、このテキストの選択にも、帯広小学校の卒業生の皆さんの思いが託されているのでしょう。ちなみに「虔十公園林」は、彼らがこの地で4年生の時に学んだ教科書に載っていたのだそうです。
童話の中で虔十の住んでいた町も、虔十の死後、鉄道や工場が建設されてどんどん発展していきました。この帯広も、開拓当時からは大きく姿を変えてきたのでしょうが、その昔小学校の校庭にあった木々は、今はすばらしい「公園林」となって、変わらず葉を茂らせているのです。
帯広市中央公園